「お詫び」と「謝罪」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 05:53 UTC 版)
「日本の戦争謝罪」の記事における「「お詫び」と「謝罪」」の解説
1972年の日中共同声明において田中角栄首相が「お詫び」という言葉を使ったさい、翻訳の問題もあり、中国側では深刻な謝罪表明でなく、軽い謝罪と受け止められ、問題視された。しかし日本側の外交努力によって、共同声明は無事発表されたが、この事件がのちの90年代以降にも再言及され、繰り返されている。日本の外務省および欧米の主要メディアは一般に「お詫び」を「apology」等に翻訳して、充分な「謝罪」表現として認識しているが、中国側ではそうではないことがしばしばある。また、日本側が「謝罪」と明記しなかったのは、日中戦争が一方的な侵略戦争でなく、通常の一般的な戦争であったと認識していたためとの見解もある。 1998年の日中共同宣言において、日本政府は1972年の日中共同声明を踏襲し「責任を痛感し、深く反省する」という同じ表現を繰り返した。中国側は、同1998年に先に結ばれた日韓共同宣言が「お詫び」という表現を率直に使用していたことから同様の「謝罪」を期待していたところ、1972年の「反省」が繰り返されたために、これを批判した。なお、小渕首相は会談においては口頭で「お詫び」を言っている。 2005年のアジア・アフリカ首脳会議におけるスピーチで小泉首相は村山談話を踏襲する形で「謝罪」を発したが、人民日報など中国の主要メディアはこれが「謝罪」ではなくより「軽い」表現である「お詫び」(中国語の「歉意」に翻訳される)という表現を使用していることから、批判した。
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