テルシオ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/24 15:39 UTC 版)
テルシオ(Tercio)は、1534年から1704年にかけてスペイン王国が採用した軍事編成[1]。戦闘隊形を指すとされる場合もあるが、これは誤りである[2]。
- ^ Ignacio&Ivan Notario López, The Spanish Tercios 1536-1704 p12-13
- ^ a b c Eduadro de Mesa, The Irish in the Spanish Army in the Seventeenth Century p9-11
- ^ Fernando González de León, Spanish Military Power and the Military Revolution p27
- ^ a b The Spanish Tercio p11
- ^ The Irish in the Spanish Army p9
- ^ a b c d The Army of Flander p233
- ^ The Irish in the Spanish Army p12
- ^ Eduadro de Mesa, La pacificatión de Flandes.Spínola y las campañas de Frisia(1604-1609) p183
- ^ Geoffrey Parker, The Army of Flander and the Spanish Road 1567-1659 p235
- ^ La pacificatión de Flandes p188
- ^ The Irish in the Spanish Army p70
- ^ a b The Spanish Tercio p14
- ^ The Road to Rocroi p20-22
- ^ a b c The Spanish Tercio p15
- ^ The Road to Rocroi p22-23
- ^ a b c The Spanish Tercio p16
- ^ The Spanish Tercio p17
- ^ The Army of Flanders p145-147
テルシオ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 08:47 UTC 版)
詳細は「テルシオ」を参照 騎兵の戦術的な価値も火器の技術躍進によって相対的に低下し、歩兵の重要性がまた認識されるようになった。テルシオは16世紀頃にスペインで開発され、欧州陸軍の戦闘教義に大きな影響を与えた。テルシオはスペイン方陣とも呼ばれ、それは研究開発された歩兵銃を装備した歩兵を数段の縦隊で配置し、装弾のたびに後列と次々に交代することによって全体の部隊の火力攻撃の発射速度を維持するという方陣のことである。この方陣には槍歩兵も含まれる。 実際の運用においては前衛に大砲三門を配置し、その両翼に騎兵を置いた。さらに主力部隊は方陣を三個並べ、その両翼にも騎兵部隊を配する。ただしこれら騎兵部隊の突撃は戦場においては小銃を装備した歩兵や陣地防御に対しては有効ではないため、有効性は側面攻撃や背後攻撃、または歩兵部隊が戦場機動する場合に限られたが、主力部隊は戦場機動に不向きであり、全体として鈍重な部隊である。
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テルシオ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 10:19 UTC 版)
近世ヨーロッパの陣形でスペイン方陣とも呼ばれる。長槍兵を方形に並べ突撃に対する防御とし、周りに配置した弓兵・銃兵で攻撃を加える陣形。攻防バランスの取れた陣形だが、槍兵は攻撃に参加できない欠点がある。そのため、銃剣の誕生と共に廃れることとなる。
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