セシル家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 13:03 UTC 版)

セシル家(英語: Cecil family)は、イギリスの貴族の家系。
エリザベス1世の宰相の初代バーリー男爵ウィリアム・セシルを祖とし、その長男初代エクセター伯爵トマスの家系(エクセター伯爵・エクセター侯爵家)と次男初代ソールズベリー伯爵ロバートの家系(ソールズベリー伯爵・ソールズベリー侯爵家)の2つの系統から成る。
またエクセター侯爵家の分流にハックニーのアマースト男爵家、ソールズベリー侯爵家の分流にロックリー男爵家が存在する。
歴史


ウィリアム・セシル(1521–1598)の祖父デイヴィッド・セシル(1460頃-1540?)はヘレフォードシャーのヨーマン(独立自営農民)であり、1485年のボズワースの戦いではヘンリー・オブ・テューダー(ヘンリー7世)側で馳せ参じている。その後テューダー朝が始まるとリンカンシャー・スタンフォードを本拠とするようになり、近隣の王母マーガレット・ボーフォートの領地を管理を任された[1]。
デイヴィッドの息子リチャード・セシル(?-1553)も衣装担当宮内官として宮廷に仕えた[2]。
リチャードの息子がウィリアム・セシルだった。彼は庶民院議員に当選し、宮廷内でもヘンリー8世やエドワード6世のもとで秘書官として活躍。カトリックのメアリー1世の時代には官職を避けたが、1558年にエリザベス1世が即位するとその国王秘書長官となり、以降40年にわたって宰相としてエリザベスを支え続けた[3]。その間の1571年2月25日にはエリザベスから「カウンティ・オブ・ノーザンプトンにおけるバーリー男爵(Baron Burghley, in the County of Northampton)」に叙せられている[4]。
初代バーリー卿には長男トマス(1542–1623)と次男ロバート(1565–1612)という2人の息子があった。トマスは庶民院議員を務めたものの父から政治の才能を認められず、父の政治的立場を引き継いで宰相となったのはロバートだった[5]。
ステュアート朝になった後の1605年5月4日にジェームズ1世はセシル兄弟に同時に伯爵位を与えた。それが「エクセター伯爵(Earl of Exeter)」(トマス)と「ソールズベリー伯爵(Earl of Salisbury)」(ロバート)だった[6][7]。
エクセター伯爵家は初代バーリー卿が建設したバーリー・ハウスを相続して代々の本拠とした[8]。一方ソールズベリー伯爵家はジェームズ1世との邸宅交換でハートフォードシャーにあるハットフィールド・ハウスを手に入れ、そこを代々の本拠としている[9]。
ソールズベリー伯爵家は7代ソールズベリー伯ジェイムズ(1748-1823)の代の1789年8月25日にソールズベリー侯爵に叙せられた[10]。一方エクセター伯爵家は10代エクセター伯ヘンリー・セシル(1754–1804)の代の1801年2月4日に至って「エクセター侯爵(Marquess of Exeter)」に叙せられている[11]。
ソールズベリー侯爵家は2代ソールズベリー侯ジェイムズ(1791-1868)の代の1821年3月にガスコイン家との結婚を機に勅許を得て「ガスコイン=セシル」と改姓している[12]。
ソールズベリー侯爵家はヴィクトリア朝期に三度に渡って首相(在職1885-1886、1886-1892,1895-1902)を務めた3代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシル(1830-1903)を輩出した。彼はボーア戦争や日英同盟時の首相として知られる。彼の登場以降ソールズベリー侯爵家はイギリス政界の中心的存在となり、国際連合創設への貢献でノーベル平和賞を受賞した初代チェルウッドのセシル子爵ロバート・ガスコイン=セシル(1864-1958)(3代侯の三男)や貴族院の停止的拒否権を制限する「ソールズベリー慣行」を確立する5代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシル(1893-1972)等を輩出する。
一方エクセター侯爵家の方は政界での目立った活躍はなかったが、6代エクセター侯デイヴィッド・セシル(1905–1981)は襲爵前に陸上競技選手として鳴らし、1928年のアムステルダム五輪では金メダルを獲得している[8]。
分流としてはエクセター侯爵家にハックニーのアマースト男爵家、ソールズベリー侯爵家にロックリー男爵家がそれぞれ存在する。アマースト男爵位はウィリアム・ティッセン=アマーストが1892年に叙されたのに始まるが[13]、彼の娘で爵位を女系継承した第2代アマースト女男爵メアリー(1857–1919)が3代エクセター侯ウィリアム(1825–1895)の三男ウィリアム卿(1854-1943)と結婚した結果、セシル家によって継承される爵位となったものである[14]。2015年現在5代目を数える。
ロックリー男爵位は2代ソールズベリー侯の三男ユースタス(1834-1921)の子イヴリン(1865-1941)が1934年にロックリー男爵に叙せられたのに始まっている[15]。2015年現在4代目である。
系図
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初代バーリー男爵 ウィリアム (1520-1598) |
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初代エクセター伯 2代バーリー男爵 トマス (1542-1623) |
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初代ソールズベリー伯 ロバート (1563-1612) |
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2代エクセター伯 ウィリアム (1566-1640) |
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リチャード (1570-1633) |
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初代ウィンブルドン子爵 エドワード (1572-1638) |
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2代ソールズベリー伯 ウィリアム (1591-1668) |
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16代ルース男爵 ウィリアム (1590–1618) |
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3代エクセター伯 デイヴィッド (1600頃–1643) |
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チャールズ (1619-1660) |
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4代エクセター伯 ジョン (1628–1678) |
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3代ソールズベリー伯 ジェイムズ (1648-1683) |
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5代エクセター伯 ジョン (1648頃–1700) |
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4代ソールズベリー伯 ジェイムズ (1666-1694) |
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6代エクセター伯 ジョン (1674–1721) |
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5代ソールズベリー伯 ジェイムズ (1691–1728) |
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7代エクセター伯 ジョン (1700頃–1722) |
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8代エクセター伯 ブラウンロー (1701–1754) |
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6代ソールズベリー伯 ジェイムズ (1713–1780) |
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9代エクセター伯 ブラウンロー (1725–1793) |
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トマス (1728–1778) |
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初代ソールズベリー侯 7代ソールズベリー伯 ジェイムズ (1748-1823) |
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初代エクセター侯 10代エクセター伯 ヘンリー (1754–1804) |
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2代ソールズベリー侯 ジェイムズ (1791-1868) (以下ガスコイン=セシル姓) |
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2代エクセター侯 ブラウンロー (1795–1867) |
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3代ソールズベリー侯 ロバート(首相) (1830-1903) |
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ユースタス (1834-1921) |
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3代エクセター侯 ウィリアム (1825–1895) |
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初代アマースト男爵 ウィリアム ティッセン=アマースト (1835-1909) |
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4代ソールズベリー侯 ジェイムズ (1861-1947) |
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初代セシル子爵 ロバート (1864-1958) |
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初代クイックスウッド男爵 ヒュー (1869-1956) |
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初代ロックリー男爵 イヴリン (1865-1941) |
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4代エクセター侯 ブラウンロー (1849–1898) |
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ウィリアム (1854-1943) |
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2代アマースト女男爵 メアリー (1857–1919) |
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5代ソールズベリー侯 ロバート (1893-1972) |
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2代ロックリー男爵 ロバート (1901-1976) |
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5代エクセター侯 ウィリアム (1876–1956) |
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ウィリアム (1886–1914) |
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6代ソールズベリー侯 ロバート (1916-2003) |
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3代ロックリー男爵 ジェイムズ (1934-2011) |
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6代エクセター侯 デイヴィッド (1905–1981) |
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7代エクセター侯 マーティン (1909–1988) |
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3代アマースト男爵 ウィリアム (1912–1980) |
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7代ソールズベリー侯 ロバート (1946-) |
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4代ロックリー男爵 アンソニー (1961-) |
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8代エクセター侯 マイケル (1935-) |
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4代アマースト男爵 ウィリアム (1940–2009) |
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5代アマースト男爵 ヒュー (1968–) |
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脚注
注釈
出典
- ^ 石井美樹子 2009, p. 217.
- ^ 石井美樹子 2009, p. 218.
- ^ 石井美樹子 2009, p. 217-220.
- ^ Lundy, Darryl. “William Cecil, 1st Baron of Burghley” (英語). thepeerage.com. 2015年3月13日閲覧。
- ^ ヒバート & 1998下巻, p. 205-206.
- ^ Jessopp, Augustus [in 英語] (1887). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 9. London: Smith, Elder & Co. pp. 404–405.
- ^ Jessopp, Augustus [in 英語] (1887). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 9. London: Smith, Elder & Co. pp. 400–404.
- ^ a b “History & Timeline” (英語). Burghley. 2015年3月10日閲覧。
- ^ 青木道彦 2000, p. 50.
- ^ Lundy, Darryl. “James Cecil, 1st Marquess of Salisbury” (英語). thepeerage.com. 2015年3月13日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Henry Cecil, 1st Marquess of Exeter” (英語). thepeerage.com. 2015年3月10日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “James Brownlow William Gascoyne-Cecil, 2nd Marquess of Salisbury” (英語). thepeerage.com. 2015年3月13日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “William Amhurst Tyssen-Amherst, 1st Baron Amherst of Hackney” (英語). thepeerage.com. 2015年3月13日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Colonel Lord William Cecil” (英語). thepeerage.com. 2015年3月13日閲覧。
- ^ UK Parliament. “Sir Evelyn Cecil” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年3月13日閲覧。
参考文献
- 青木道彦『エリザベス一世 大英帝国の幕開け』講談社〈講談社現代新書1486〉、2000年。 ISBN 978-4120040290。
- 石井美樹子『エリザベス 華麗なる孤独』中央公論新社、2009年。 ISBN 978-4120040290。
- ヒバート, クリストファー 著、山本史郎 訳『女王エリザベス〈下〉大国への道』原書房、1998下巻。 ISBN 978-4562031474。
セシル家(第2期)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 02:19 UTC 版)
「エクセター侯爵」の記事における「セシル家(第2期)」の解説
テューダー朝最後の女王エリザベス1世の宰相ウィリアム・セシル(1521-1598)は、1571年2月25日に「ノーザンプトン州におけるバーリー男爵(Baron Burghley, in the County of Northampton)」に叙せられた。 初代バーリー卿の死後、その爵位は長男トマス・セシル(1542-1623)が継承した。トマスは庶民院議員を務めていたものの父から政治の才能を認められず、父の政治的立場を引き継いで宰相となったのは次男ロバート(1565-1612)だった。ステュアート朝になった後の1605年5月4日にセシル兄弟に同時に伯爵位を与えられた。それがトマスの「エクセター伯爵(Earl of Exeter)」とロバートの「ソールズベリー伯爵(Earl of Salisbury)」だった。 その後、エクセター伯爵位はトマスの男系男子によって受け継がれ、200年後の1801年2月4日に至って10代エクセター伯爵ヘンリー・セシル(1754-1804)が「エクセター侯爵(Marquess of Exeter)」に叙せられた。 その来孫である6代エクセター侯爵デイヴィッド・ジョージ・ブラウンロー・セシル(1905-1981)は襲爵前に陸上競技選手として鳴らし、1928年のアムステルダム五輪では金メダルを獲得した。 2015年現在の当主はその甥にあたる第8代エクセター侯爵ウィリアム・マイケル・アンソニー・セシル(英語版)(1935-)である。 本邸は1587年に初代バーリー卿によって築かれたリンカンシャー・スタンフォード(英語版)にあるバーリー・ハウス(英語版)である。1975年に7代エクセター侯マーティン・セシル(英語版)(1909-1988)が創設したバーリーハウス保存財団(Burghley House Preservation Trust)によって管理されている。 分流としてはハックニーのアマースト男爵家が存在する。アマースト男爵位はウィリアム・ティッセン=アマーストが1892年に叙されたのに始まるが、彼の娘で爵位を女系継承した第2代アマースト女男爵メアリー(1857-1919)が3代エクセター侯ウィリアム(英語版)(1825-1895)の三男ウィリアム卿(英語版)(1854-1943)と結婚した結果、セシル家によって継承される爵位となったものである。同家の現在の当主は5代アマースト男爵ヒュー・セシル(1968-)である。
※この「セシル家(第2期)」の解説は、「エクセター侯爵」の解説の一部です。
「セシル家(第2期)」を含む「エクセター侯爵」の記事については、「エクセター侯爵」の概要を参照ください。
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