独ソ戦での活躍
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1941年6月の独ソ戦開戦後は、フィンランド戦を生き残った増加試作型、量産型ともに前線に投入され、フィンランド戦同様、その巨体と重装甲はドイツ兵を驚愕させた。 1941年6月23日、35(t)を装備するドイツ第6装甲師団は、リトアニアのドゥビーサ川(英語版)方面の戦いで、KV-2を保有するソ連第2戦車師団と遭遇、戦車40両と多くの火砲を撃破される大損害を被った。このため、前進していたドイツ第1装甲師団は反転して、第6装甲師団を支援しなければならなくなった。 また、ラシェイニャイ(英語版)市内の第6装甲師団とドゥビーサ川橋頭堡の歩兵部隊を分断するために送り込まれた、たった1両のKV-2は橋頭堡に向かう増援部隊のトラック12台を撃破し、街道上の分岐点に居座ってドイツ軍を食い止め続けた。これを排除すべく、5 cm PaK 38対戦車砲を装備する部隊が送り込まれたが返り討ちにあい2門が破壊され、続く8.8cm高射砲1門も設置中に砲撃を受け、破壊された。夜になって突撃工兵が爆薬攻撃を仕掛け、履帯を破壊して行動不能に追い込んだものの完全撃破には至らなかった。翌日、軽戦車が囮となっている間に設置された8.8cm高射砲が水平射撃で6発を命中させた。しかし、貫通したのは2発のみで乗員はまだ生きており、砲塔が動き始めたため、工兵により被弾孔から手榴弾が投げ込まれ、ようやく完全に沈黙した。 なお、ドイツ軍は放棄されたKV-2を少数ながら鹵獲しており、Pz. Kpfw.KW-2 754(r)の名称で使用している。ドイツ軍が鹵獲使用した物には、砲塔天面右前部にIV号戦車の車長用キューポラを増設した独自改造車が存在した。
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