独ソ戦初期における軍司令官
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「ハインツ・グデーリアン」の記事における「独ソ戦初期における軍司令官」の解説
グデーリアンは回想録において、1940年11月に独ソ戦開戦の計画を伝えられたと述べている。グデーリアンはその回想録において「私が不可能であると考えたことが現実になろうとしている」として、二正面作戦の愚をヒトラーに上申したとしている。ただし、1940年6月29日の訓令では、「グデーリアン集団」がヴィスワ川の防衛と反攻にあたるとされており、これを受けたグデーリアンの部下がソ連領内のキエフ・ミンスクへの攻撃を主眼とする作戦案を上申している。このためグデーリアンが6月頃にはソ連侵攻計画について知っていたのではないかという指摘も存在する。 1941年6月22日に開始されたバルバロッサ作戦においては、中央軍集団(フェードア・フォン・ボック元帥)に属する第2装甲集団(後に補給組織が追加され、第2装甲軍に昇格)を指揮し、同僚のヘルマン・ホト上級大将率いる第3装甲集団と共に主力として進撃。主に軍集団南翼を担当し、ホトの部隊と共同でミンスク包囲戦、スモレンスク包囲戦において大戦果を挙げる。その快進撃ぶりに“韋駄天ハインツ(schneller Heinz)”, または“疾風ハインツ(Heinz Brausewind)”との異名を与えられる。一方で、6月29日の夫人あて書簡では「敵は勇敢かつ激烈に抵抗している。ゆえに、戦闘は極めて厳しい。誰もがただそれに耐えるだけだ。」と赤軍の激しい抵抗に苦しんでいたことを述べている。 次いで、戦略としては反対の意見を持っていたものの、プリピャチ沼沢地東方を北方から南下して、南方軍集団と共同でキエフの大包囲戦を成功させた。このキエフ会戦は「野戦軍の撃滅」と「重要拠点(モスクワ)の奪取」という相反した目標において野戦軍の撃滅を優先させた策であった。グデーリアンはモスクワ攻略のため直進すべきであったと主張したが、ヒトラーは「私の将軍たちは、戦争経済について全くご存じない」と述べてこの意見を退けた。これは「素人」ヒトラーが「専門家」軍司令官の構想を退けたことが敗因となったという構図で知られるが、実際にはモスクワへの進撃路はウクライナよりはるかに機動戦に不向きであり、補給組織も未整備であったことからモスクワ進撃は極めて困難であり、戦術的にはヒトラーの選択した野戦軍の撃滅優先が正解であったとストーエルやマーチン・ファン・クレフェルトは指摘している。 その後モスクワ進撃を再開し、10月にはブリヤンスク・ヴィヤジマにおける二重包囲戦でまたもや大戦果を挙げ、11月には第3装甲集団のヘルマン・ホト上級大将、第4装甲集団のエーリヒ・ヘプナー上級大将と共にモスクワ攻略を開始した。グデーリアンは小モスクワと呼ばれ、モスクワの南の門ともいわれる要塞化されたトゥーラを迂回して、南からモスクワを伺った。しかし兵力・補給・準備などの全てが不足しており、特にトゥーラを迂回したことによる弊害(後に攻撃を行うが失敗)、突出による南翼の開放部の存在(担当の第2軍は歩兵中心のため追いつけなかった)、北の2つの装甲集団と南西から進撃したグデーリアンの第2装甲集団との間を埋める、第4軍のギュンター・フォン・クルーゲ元帥とそりがあわずに攻撃が連動できなかったことなどがあり、さらにソビエト軍が極東シベリアから対日戦用に配備していた多数の部隊を引き抜いて輸送し、十分な予備兵力を確保していたことなどもあり、攻撃は困難となった。12月10日にグデーリアンは「作戦を中止して後方に下がり、越冬すべき」とヒトラーに直接具申した。ヒトラーは死守を厳命し、グデーリアンの意見は容れられなかった。グデーリアンが退室する際、ヒトラーはカイテルに「あの男を納得させられなかったな」とつぶやいている。グデーリアンはヒトラーの命令に従ったものの、赤軍の圧力に耐えかねて第2装甲軍の一部を後退させた。しかしこの後退に対して上官のクルーゲは、総統命令に背いてあらかじめ退却準備をしていたものであると難詰してきた。12月25日に行われたクルーゲとの電話対談は決裂し、クルーゲはグデーリアンの解任を陸軍総司令部に進言し、グデーリアンはクルーゲの不当な扱いに抗議して辞職願を提出した。12月26日、グデーリアンは指揮官予備に編入され、軍司令官から解任された。グデーリアンはクルーゲを軍法会議に提訴しようとしたが、ヒトラーによって却下された。以降グデーリアンは心臓病の療養を主としてしばらく軍務につくことはなかった。1942年にはドイツアフリカ軍団軍団長エルヴィン・ロンメル元帥が病気のために帰国した際、後任としてグデーリアンを推薦したが、ヒトラーはこれを却下している。
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