独ソ戦初期における軍司令官とは? わかりやすく解説

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独ソ戦初期における軍司令官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:47 UTC 版)

ハインツ・グデーリアン」の記事における「独ソ戦初期における軍司令官」の解説

グデーリアンは回想録において、1940年11月独ソ戦開戦計画伝えられたと述べている。グデーリアンはその回想録において「私が不可能であると考えたことが現実になろうとしている」として、二正面作戦の愚をヒトラー上申したとしている。ただし、1940年6月29日訓令では、「グデーリアン集団」がヴィスワ川防衛反攻にあたるとされており、これを受けたグデーリアンの部下ソ連領内のキエフ・ミンスクへの攻撃主眼とする作戦案を上申している。このためグデーリアンが6月頃にはソ連侵攻計画について知っていたのではないかという指摘存在する1941年6月22日開始されバルバロッサ作戦においては中央軍集団フェードア・フォン・ボック元帥)に属する第2装甲集団(後に補給組織追加され第2装甲軍昇格)を指揮し同僚ヘルマン・ホト上級大将率い第3装甲集団と共に主力として進撃。主に軍集団南翼を担当しホト部隊共同ミンスク包囲戦スモレンスク包囲戦において大戦果を挙げる。その快進撃ぶりに“韋駄天ハインツ(schneller Heinz)”, または“疾風ハインツ(Heinz Brausewind)”との異名与えられる一方で6月29日夫人あて書簡では「敵は勇敢かつ激烈に抵抗している。ゆえに、戦闘極めて厳しい。誰もがただそれに耐えるだけだ。」と赤軍激し抵抗苦しんでいたことを述べている。 次いで戦略としては反対意見持っていたものの、プリピャチ沼沢地東方北方から南下して南方軍集団共同キエフ大包囲戦を成功させた。このキエフ会戦は「野戦軍撃滅」と「重要拠点モスクワ)の奪取」という相反し目標において野戦軍撃滅優先させた策であった。グデーリアンはモスクワ攻略のため直進すべきであった主張したが、ヒトラーは「私の将軍たちは、戦争経済について全くご存じない」と述べてこの意見退けた。これは「素人ヒトラーが「専門家軍司令官構想退けたことが敗因となったという構図知られるが、実際にモスクワへ進撃路はウクライナよりはるかに機動戦不向きであり、補給組織未整備であったことからモスクワ進撃極めて困難であり、戦術的にヒトラー選択した野戦軍撃滅優先正解であったとストーエルやマーチン・ファン・クレフェルト指摘している。 その後モスクワ進撃再開し10月にはブリヤンスク・ヴィヤジマにおける二重包囲戦またもや大戦果を挙げ11月には第3装甲集団ヘルマン・ホト上級大将、第4装甲集団エーリヒ・ヘプナー上級大将と共にモスクワ攻略開始した。グデーリアンは小モスクワ呼ばれモスクワの南の門ともいわれる要塞化されたトゥーラ迂回して、南からモスクワ伺った。しかし兵力補給準備などの全て不足しており、特にトゥーラ迂回したことによる弊害(後に攻撃を行うが失敗)、突出による南翼の開放部の存在担当第2軍歩兵中心のため追いつけなかった)、北の2つ装甲集団南西から進撃したグデーリアンの第2装甲集団との間を埋める、第4軍ギュンター・フォン・クルーゲ元帥とそりがあわずに攻撃連動できなかったことなどがあり、さらにソビエト軍極東シベリアから対日戦用に配備していた多数部隊引き抜いて輸送し十分な予備兵力を確保していたことなどもあり、攻撃は困難となった12月10日にグデーリアンは「作戦中止して後方に下がり、越冬すべき」とヒトラー直接具申したヒトラー死守厳命し、グデーリアンの意見は容れられなかった。グデーリアンが退室する際、ヒトラーカイテルに「あの男納得させられなかったな」とつぶやいている。グデーリアンはヒトラー命令従ったものの、赤軍圧力に耐えかねて第2装甲軍一部後退させた。しかしこの後退に対して上官クルーゲは、総統命令背いてあらかじめ退却準備をしていたものであると難詰してきた。12月25日行われたクルーゲとの電話対談決裂しクルーゲはグデーリアンの解任陸軍総司令部進言し、グデーリアンはクルーゲ不当な扱い抗議して辞職願提出した12月26日、グデーリアンは指揮官予備編入され軍司令官から解任された。グデーリアンはクルーゲ軍法会議提訴しようとしたが、ヒトラーによって却下された。以降グデーリアンは心臓病療養主としてしばらく軍務につくことはなかった。1942年にはドイツアフリカ軍団軍団長エルヴィン・ロンメル元帥病気のために帰国した際、後任としてグデーリアンを推薦したが、ヒトラーはこれを却下している。

※この「独ソ戦初期における軍司令官」の解説は、「ハインツ・グデーリアン」の解説の一部です。
「独ソ戦初期における軍司令官」を含む「ハインツ・グデーリアン」の記事については、「ハインツ・グデーリアン」の概要を参照ください。

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