スモレンスク包囲戦とは? わかりやすく解説

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スモレンスク包囲戦

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スモレンスク包囲戦: Siege of Smolensk

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スモレンスク包囲戦

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ロシア・ポーランド戦争 (1605年-1618年)」の記事における「スモレンスク包囲戦」の解説

詳細は「スモレンスクの戦い (1609年-1611年)」を参照 ヘトマンスタニスワフ・ジュウキェフスキ (Stanisław Żółkiewski) に指揮されポーランド・リトアニア軍は国境超えロシア領に入り1609年9月29日ロシア西部スモレンスク包囲した。ジュウキェフスキはもともとこの戦い反対であったものの、王の命令逆らえやむなく従軍していた。スモレンスクロシア1514年リトアニアから奪った西の重要都市であったが、ヴォイヴォドのミハイル・シェイン (Mikhail Shein) 率いる1,000人以下の兵士しかおらず、ジュウキェフスキ率い12,000人の軍とは戦いならないかと思われた。 しかしスモレンスクは、前のツァーリであるボリス・ゴドゥノフ出資した大規模な城郭補強工事1602年完成してたばかりだった。ポーランド軍スモレンスク難攻不落であることをやがて知ることになる。包囲長期に及び、砲兵市内向けて砲撃し、濠の下にトンネル掘り土塁築いて城郭攻めようとした(この土塁は今も残る)。この決着は、20カ月先にようやくつくことになる。 スモレンスク包囲中のポーランド陣営では、異なった戦略的政治的構想渦巻きぶつかりあっていた。ゼブジドフスキの反乱の元参加者たちはなおもジグムント3世対立しており、彼を廃位して偽ドミトリー2世を、あるいはモスクワツァーリヴァシーリー・シュイスキーポーランド王に選出しようとすらした。最初からロシア侵略反対していた指揮官ジュウキェフスキは、戦役展望手法最終目標巡ってジグムント3世衝突繰り返した。 ジュウキェフスキはポーランド貴族シュラフタ)の伝統的な平和主義多文化主義思想代表する人物で、ロシアのような強国対し攻撃的危険な戦争仕掛けることをよしとしなかった。ジュウキェフスキの理想リトアニア連合結んだように平和的自発的な連合ロシアと結ぶことであった。ジュウキェフスキはロシアボヤーレたちに対して権利宗教的自由を提示し同盟呼びかけ最終的にはポーランド・リトアニア・モスクワ連合形成することを目指した。このためにはモスクワ武力屈服させるではなく外交通じてモスクワ協力を得るべきだというのが彼の結論だった。 一方ジグムント3世政治的交渉妥協を行うことをよしとせず、特に正教会対す譲歩だけは欲しなかった。ジグムント口の多い、ほとんど熱狂的とすら言えるほどのカトリック擁護者で、国内でも反宗教革命対抗改革)を支持していた。彼は全ての戦い勝ってモスクワ武力で手にできると信じロシア自分支配カトリック教会支配確立しようとしていた。

※この「スモレンスク包囲戦」の解説は、「ロシア・ポーランド戦争 (1605年-1618年)」の解説の一部です。
「スモレンスク包囲戦」を含む「ロシア・ポーランド戦争 (1605年-1618年)」の記事については、「ロシア・ポーランド戦争 (1605年-1618年)」の概要を参照ください。

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