ナチス・ドイツと戦後
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「エーレンフリート・ベーゲ」の記事における「ナチス・ドイツと戦後」の解説
1938年8月26日、アドルフ・ヒトラーの軍事参謀に任命され、第二次世界大戦の勃発後も総統大本営副司令官としてヒトラーの近くに残された。ポーランド戦役後の1939年12月1日、ノイハマーに駐屯していた第161歩兵連隊の指揮を引き継ぎ、シレジアのゴルトベルクやオイペン、サン・クエンチンやブールジュなどを転戦した。 1940年7月13日に第7歩兵連隊長となり、1941年6月には東部戦線メーメル川付近で発生したスモレンスク包囲戦に参加。その後もヴャジマ及びブリャンスクの戦い、モスクワの戦いなどの激戦に参加した。1941年12月1日から1942年2月10日にかけて、第252歩兵師団長や第197歩兵師団長などを歴任。1943年11月5日、待命指揮官 (Führerreserve) に編入され、デーベリッツにて指揮将官研修 (Lehrgang für Kommandierende Generale) を受けた。 1944年2月1日、第41装甲軍団の軍団長に任命され、1944年3月25日からナルヴァ、エルゲリ、ドヴィンスクを転戦した。1944年9月5日、第18軍司令官に任命され、その後はクールラントにおける5つの戦いに参加した。1945年5月5日、ソ連赤軍の捕虜となり、強制労働25年間の判決を受けた。ヴォイコヴォ、ヴォログダ、ヴォルクタ、アスベスト市などの収容所に収監された。 1955年10月の特赦によって帰国を果たし、その後はボン、フュッセン、ヒルデスハイムに暮らした。ヒルデスハイムにて没した。
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