ナチス・ドイツおよびフォルクスワーゲンとの関わり
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「ヘンリー・フォード」の記事における「ナチス・ドイツおよびフォルクスワーゲンとの関わり」の解説
フォードの『国際ユダヤ人』はドイツおよび国家社会主義ドイツ労働者党(通称ナチス)に大きな影響を与えた。1922年、フォードの『国際ユダヤ人』ドイツ語版が反ユダヤ主義の活動家で出版者のテオドル・フリッチュ(Theodor Fritsch)によって刊行された。ドイツ語版では注釈がおびただしくあり、フォードが「ユダヤ人には悪玉も善玉もいる」と書いた箇所については「これは恐るべき幻想であり、全ユダヤ人が一体となって人類を蔑んでいるのである」とフォードを批判した注釈もあった。 ベルリナー・ターゲブラット紙やニューヨーク・タイムズ紙は1922年12月に、フォードはナチスを財政支援していると報道した。 1923年頃、フォードが大統領選挙に立候補するという噂が流れ、「シカゴ・トリビューン」紙はヒトラーの取材を行い、彼のコメントを掲載した。「私はすぐにでも突撃隊員を率いて彼の選挙運動を支援したいと思う。(中略)彼、ハインリヒ(ヘンリーのドイツ式)・フォードこそは米国におけるファシズム運動育成の指導者である」 。この報道は、再びユダヤ系グループの反発を招き、大きな非難を受けた。 1923年には、アドルフ・ヒトラーは自宅の居間にフォードの写真を掲げ、来訪者に『国際ユダヤ人』をプレゼントしたという。ヒトラーの著書『我が闘争』で唯一言及されているアメリカ人がフォードだった。ヒトラーは「フォードは(ユダヤ人たちの)憤激に対抗し、1億2000万人の国家の支配者たちから完全な独立を維持している偉大な男」と記している。また、『国際ユダヤ人』からの引用と思われる部分も存在する。1931年、Detroit News 紙の記者への談話として、ヒトラーはフォードの「インスピレーション」を評価すると述べ、机の横にフォードの等身大の肖像を置いていると述べた。ヒトラーはフォードを尊敬しており、「彼の理論をドイツで実践するためベストを尽くしたい」と述べ、T型フォードをモデルとしてフォルクスワーゲンを作らせた。 1924年、ハインリヒ・ヒムラーは書簡でフォードを「我々の最も貴重で重要で機知に富んだ闘争者」と評している。 1924年2月1日、作曲家リヒャルト・ワーグナーの息子ジークフリート・ワーグナーとその妻ヴィニフレートの紹介でヒトラーの代理人 クルト・リューデッケ(英語版)がフォードの家を訪問し、ナチ党への援助を依頼したが、フォードは断わったとされる。 1927年にそれまでの反ユダヤ発言を撤回し謝罪したフォードはドイツ語版『国際ユダヤ人』の回収を出版者フリッチュに依頼したが、フリッチュは損害賠償を要求したため、回収を断念した。後にナチスの機関誌『フェルキッシャー・ベオバハター』はフォードが謝罪したことについて、ユダヤ人銀行家が英雄的な老兵をねじ伏せたと評した。 1937年1月、Detroit Jewish Chronicle 紙に「『国際ユダヤ人』として知られる本のドイツでの出版とは全く無関係」とのフォードの言が掲載された。 第二次世界大戦勃発前の1938年7月、クリーブランドにてドイツ領事がフォードの75歳の誕生日に大十字ドイツ鷲勲章を贈った。ナチス・ドイツが外国人に与える最高位の勲章である。当時、すでにドイツによるユダヤ人迫害の情報はアメリカにも伝わっていたが、フォードは「勲章を捨てるつもりも返すつもりもない」と言明した 。ゼネラルモーターズの海外担当副社長 James D. Mooney にも同様の勲章が贈られた。 ニュルンベルク裁判で、ウィーンの軍政長官として65,000人のユダヤ人をポーランドに追放したヒトラーユーゲントのリーダーバルドゥール・フォン・シーラッハは次のように証言した。 私や同僚が読んで影響を受けた反ユダヤ主義の本は…ヘンリー・フォードの『国際ユダヤ人』だった。私はそれを読み、反ユダヤ主義者になった。私や友人たちにとってヘンリー・フォードは成功の象徴であり進歩的社会政策の代表だったので、その本に大きな影響を受けた。 他方、第二次世界大戦中のフォードの側近は、フォードが80歳のころナチスの強制収容所の映画を鑑賞し、その中の残虐行為に恐れおののいていたと述べている。 フォードのナチス財政支援についてポリアコフは考えられない事態であり、ヒトラー、ヒムラー、シーラッハなどのナチス党員がフォードの著作を好んだとしても、それは一方通行の好感であったとしている。 しかし、1977年、ヒトラーの代理人リューデッケをフォードに紹介したヴィニフレートは、1924年の面会の数年後にフォードはヒトラーへの資金提供を手伝ったと証言した。ただし、フォード・モーターはナチスへの寄与を否定しており、証拠書類も見つかっていない。
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