ナチス・ドイツと神経ガス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 10:20 UTC 版)
「神経ガス」の記事における「ナチス・ドイツと神経ガス」の解説
1939年中期にサリンが発見され、その製法はドイツ陸軍の化学兵器部門に引き渡された。その後軍事利用のために大量生産の命令が出たため、多くの試験プラントが建設され、大規模プラントも建設が開始された。しかし大規模プラントは終戦までには完成しなかった。ナチス・ドイツによって製造されたサリンの全量は500kgから10トン程度だと見積もられている。 その間ドイツの知識人は、連合国から発行されている科学雑誌にこれらの化合物についての記事がなかったことから、連合軍もこれらの化合物の存在を知っており、連合国側でも軍事機密にしているとの仮定を立てた。サリンやタブン、ソマンは既に弾頭に組み込まれていたが、ドイツが化学兵器を使用することでそれに対する徹底的な報復が行われる可能性を恐れ、結局ドイツ政府は連合国に対して化学兵器を使用しないことを決定した。しかし連合国は終戦後にこれらの化学兵器を確保するまで、その存在と毒性については全く知らなかった。 この詳細はジョセフ・ボルキン (Joseph Borkin) の著書『IGファルベンの犯罪と罰』 The Crime and Punishment of IG Farben に示されている。
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