ナチス・ドイツにおける刑事警察(1936年 - 1945年)
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1936年に刑事警察はゲシュタポと統合されて保安警察(ジポ)となり、その長官ラインハルト・ハイドリヒの下に束ねられた。刑事警察は1944年までアルトゥール・ネーベが局長を務めたが、1944年にネーベがアドルフ・ヒトラー暗殺計画に加担、告発、処刑された後、フリードリヒ・パンツィンガーが局長に任じられた。 刑事警察は、通常秩序警察と共に犯罪捜査を行い、大都市や小都市にも支署を持っていた。 刑事警察は、主に強姦、殺人、放火等の重大な刑法犯罪の捜査を行った。戦時下にあって刑事警察が注目していた犯罪は「火事場泥棒」であった。これは、空襲下、放棄された家や店舗や工場から金品を窃盗するために大きな社会問題とみなされたためである。 刑事警察の刑事職員は、親衛隊の一員であるとみなされ、親衛隊や秩序警察の階級を持つことが可能であった。しかし、ほとんどの刑事警察の職員は、親衛隊や秩序警察の階級でなく、「刑事捜査官 (Kriminalrat)」のような刑事警察独自の階級名で自分たちを呼んでいた。アルトゥール・ネーベ等の上級職員はアインザッツ・グルッペン (Einsatzgruppen) のようなユダヤ人絶滅部隊の指揮官として職務も果たした。
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