ナチス・ドイツのギリシャ観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 15:13 UTC 版)
「第二次世界大戦時のギリシャ」の記事における「ナチス・ドイツのギリシャ観」の解説
ナチス・ドイツにおいて古代ギリシャは憧れの的であった。そのため、ギリシャを占領していた時期、ドイツの政府要員、将兵たちがギリシャへ『戦争観光』に訪れていた。その中には親衛隊全国指導者であるハインリヒ・ヒムラーも含まれていた。しかし、古代ギリシャへの憧れは存在していたものの、近代ギリシャ人が古代ギリシャ人の後継者であるという点には疑問を抱いており、さらに19世紀ドイツの中世史家ファルメライヤーの『古代ギリシャ人の血統は7世紀のスラブ人の侵入により断絶した』という説も支持されていた。そのため、ナチスは近代ギリシャ人はスラブ人より上位であったが、『バルカンの野蛮人』であり、古代ギリシャの『高尚なヘレネス』とは別であるとされた。
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