ナチスやユダヤ人迫害への対応
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「ピウス12世 (ローマ教皇)」の記事における「ナチスやユダヤ人迫害への対応」の解説
「ピウス12世とホロコースト(英語版)」も参照 バチカンの戦争中のユダヤ人への対応については賛否両論があるが、近年の西洋史学界ではピウス12世に対する批判は、冷戦中の1963年にロルフ・ホーホフートという東ドイツの劇作家が戯曲「神の代理人」という作品でピウス12世の戦争責任を告発し、その批判が始まったことが分かった。当時、日本では竹山道雄がローマ教皇批判を行い論争になったが、現在ではあくまでも戯曲であり、歴史的価値が問われている。 賛同者はピウス12世は積極的にユダヤ人を保護していたという。実際、イタリアの降伏(1943年)に伴ってドイツ軍がローマを占領すると、多くのユダヤ人がバチカンで匿われ、バチカンの市民権を得ることができた。また、イタリアをはじめ、カトリックの修道院やカトリック系学校がユダヤ人を密かに隠したという。Pinchas Lapideというユダヤ人の外交官によれば、ピウス12世によって、70〜85万人ものユダヤ人が救われたという。多数のユダヤ系組織もLapideを支えている。 これによって戦後、イスラエル政府は「諸国民の中の正義の人」賞をピウス12世に贈っている。ヒトラーもカトリック教会やピウス12世を快く思っていなかった。イタリアの降伏後、ヒトラーはピウス12世の拉致を計画したが、イタリアに進駐していた親衛隊大将カール・ヴォルフは悪影響が大きすぎるとして実行しなかった。 1964年から1985年にかけて、バチカンによって「Acts and Documents of the Holy See related to the Second World War」というバチカン・アーカイブのピウス12世に関する史料が公開・出版された。全てはオンラインで閲覧できるようになっている。これらの資料により、ピウス12世のユダヤ人に対する活動が明らかになるという。
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