ナチスの蛮行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 15:13 UTC 版)
「第二次世界大戦時のギリシャ」の記事における「ナチスの蛮行」の解説
占領以降、ドイツ軍に対するギリシャパルチザンの攻撃が増加したが、これにたいしてドイツ軍は報復として、一般市民の大量処刑で応じ、ドイツ兵1人が殺害されたならば、50人のギリシャ人を殺害するよう命じていた。それらの中で有名なものを列挙する。 1943年8月3日、en:Szczurowa massacre。 1943年8月16日、アルタ県のコンメノ(Kommeno)でドイツ第1山岳師団に行われたもので317人の村人が殺害され、村が焼かれた事件。 1943年9月21日、en:Massacre of the Acqui Division。1943年9月、連合軍のイタリア上陸によりイタリアが降伏、さらに国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がイタリア南部で連合国側の政府を形成したことにより、ドイツ軍がイタリア占領区域を制圧したが、その際、ケファロニア島とコス島においてイタリア軍将兵がドイツ軍に大量虐殺されていた。ケファロニア島では降伏を拒否したイタリア軍アクイ師団(第33山岳歩兵師団、アントニオ・ガンディン中将指揮)の将兵約12,000名が駐屯していたが、9月13日、ドイツ軍のスツーカの支援を受けた第1山岳師団の攻撃により、約1,300名の死傷者を出した後の9月21日、降伏を余儀なくされた。その翌日、4,500名以上の捕虜となったイタリア将兵がドイツ軍によって殺害された。その後、約4,000名の生存者がギリシャ本土へ輸送されることとなったが、イオニア海で輸送船が機雷に接触して沈没、約3,000名が犠牲となった。このケファロニア島での事件は小説「コレリ大尉のマンドリン」の元になっている。イタリアでも2005年に、同事件を題材にしたテレビ映画「対独パルチザン戦線1943 -ナチス包囲の島- 」が製作・放映された。 1943年12月13日、アカイアのカラブリタで行われた「カラブリタの大虐殺(英語版)」、これはドイツ第117猟兵師団によって行われ、町のほとんどの男性が殺害され、町は完全に破壊された。 1944年6月10日にボイオーティアのディストモで発生した「ディストモの大虐殺」、これはSS警察部隊が218人の市民を殺害し、村を略奪して燃やし尽くされた。これらと同時に行われたパルチザン制圧作戦のために、何百もの村々が焼かれ、100万以上のギリシャ人が難民となった。
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