大ドイツ芸術展への直面
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『大ドイツ芸術展』は一度だけ再現されている。これらナチス公認芸術は一旦アメリカ軍が党や政府の庁舎などから没収し、西ドイツ政府に引き渡され長らく封印されたも同様の状態だった。1970年代始め、フランクフルトの若い美術研究家グループがこれらを集めて大ドイツ芸術展の再現企画を行った。左翼学者の多かった彼らの意図はナチスに芸術がいかに組み込まれ貢献したかを検証する批判的なもので、出品作もナチスやナチス芸術に対するノスタルジーや再評価を避けるように、また東ドイツの社会主義リアリズムに酷似した作品は避けるように配慮されており、作品の横にもナチスの蛮行や作品の背景にあった出産奨励政策などナチスの負の側面を説明するキャプションがお節介なほど配置された。 しかしこの展覧会は、おりしもナチス時代を振り返る書籍が相次いで刊行される「第三帝国ブーム」に時期が重なり、またナチスに関するものを展示すること自体がナチスの犠牲者を無視する無神経な企画だとして反対する別の左翼グループの猛反発を受ける。彼らは、入場者に対しナチ体制に弾圧された人々のグループが会場案内を行い、入場者は展覧会の鑑賞結果を報告し、それをしかるべき機関が分析するよう求めた。こうした論争は多くの新聞の関心を呼び、また、若者にナチスへの関心を高めかねない余計な展覧会という論調もあった。両グループは討論の末、「入場者に対するアンケート」などを受け入れることで開催に合意し、1974年10月15日から12月8日までの展覧会は無事開催が可能になった。スキャンダラスな展覧会に美術に無関心な市民までが列を成し、『退廃芸術展』のような状態を呈した。 入場者の感想は、退屈きわまる作品ばかりだったという声が圧倒したが、農村風景など意外に心休まるいい作品が多かったという声もあった。また展覧会の是非に関しては、これらを排除し隠し続けて神格化してしまうよりは一度全貌を明らかにして克服したほうが良いと、展覧会意図を評価する意見が多かった。またナチの古典的な巨大建築や巨大彫刻、農民や兵士を中心とした絵画に、ソ連や東ドイツの社会主義リアリズムの巨大建築や絵画との共通点を見出す論調が多く、なぜこれらも並列しなかったのかとのメディアからの批判もあり、論争を起こした。
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