ナチスドイツ占領下
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「ナチス・ドイツとソビエト連邦によるポーランド占領」の記事における「ナチスドイツ占領下」の解説
「ポーランドにおけるホロコースト」および「ポーランド人に対するナチスの犯罪」も参照 (非ユダヤ系の)ポーランド人を農奴の状態に引き下げ、最後にはドイツ人入植者に取って代わらせることがナチス・ドイツの政策であった。ポーランド総督府では初等教育以外の全ての教育が廃止され、文化、科学、芸術におけるポーランド的な文化の全てが奪われた。大学は閉鎖され、大学教授の多くが逮捕され処刑された。教師、弁護士、知識人その他のポーランドのエリート層の人々もレジスタンス運動の指導者になる可能性があるため、同様の運命をたどった。1943年にはザモシチ地域が更なるドイツ人入植地として選ばれた。ドイツ人の定住が計画され、ポーランド人住民は残酷な方法で追放された。しかし実際のところ1944年までの期間にこの地域に移住したドイツ人はほとんどいなかった。 ポーランドの民間人は、様々な形でナチスドイツによる占領に苦しめられた。ドイツ人入植が図られた地域では多数の人々が追放され、ポーランド総督府に移住を強制された。工場や農場での強制労働のため何万人ものポーランド人がドイツ本国に送られ、そこで何千人もの人々が亡くなった。ポーランド人はまたポーランド域内でも強制労働のために徴用され、全国にあった労働収容所に監禁され、そこでも多くの人々が命を落とした。食料、暖房のための燃料、医療備品が至る所で不足しており、結果としてポーランド人の死亡率は非常に高かった。最終的には何千人ものポーランド人がドイツの部隊に対する攻撃に対する報復やその他の理由で殺害された。総合すると、ドイツの占領が原因で約300万人もの(非ユダヤ系)ポーランド人が命を落としたが、これは戦前の総人口の約10%に達することになる。ドイツの政策によって殺害された300万人のユダヤ系ポーランド人を合わせると、ポーランドはその本来の人口の22%を失ったことになり、これは第二次世界大戦に関わった国では最大の死亡率であった。 非ユダヤ系ポーランド人の大半は、強制収容所に送られる代わりに大量虐殺、飢餓、個別の殺人事件、衛生状態の悪化、あるいは強制労働によって死亡した。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所・トレブリンカ・マイダネクなどポーランド国内に存在した6つの絶滅収容所は主にユダヤ人を殺害するために使用された。非ユダヤ系ポーランド人を専門に殺害するためにはシュトゥットホーフ強制収容所があった。民間人によるポーランド人用の労働収容所(Gemeinshaftslager、Polenlager)がポーランド領内に複数あった。多くのポーランド人がドイツの収容所で亡くなった。ドイツ人以外では最初のアウシュビッツ強制収容所囚人は非ユダヤ系のポーランドの軍人や知識人で、1942年にユダヤ人に対する組織的な殺害行為が始まるまでは非ユダヤ系ポーランド人が囚人の大半を占めていた。アウシュビッツでの毒ガスによる殺人の最初の例での犠牲者は300人の非ユダヤ系ポーランド人と、ウクライナ人やロシア人その他からなる700人のソ連人捕虜だった。ポーランド人と東ヨーロッパ人の多くがドイツ国内にあった強制収容所にも送られた。例えば、3万5千人がダッハウ強制収容所に、3万3千人がラーフェンスブリュックの女性用収容所に、3万人がマウトハウゼン強制収容所に、2万人がザクセンハウゼン強制収容所に移送された。
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