独ソ戦勃発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)
「ウィンストン・チャーチル」の記事における「独ソ戦勃発」の解説
詳細は「バルバロッサ作戦」、「独ソ戦」、および「イラン進駐 (1941年)」を参照 北アフリカ戦中の1941年6月22日にヒトラーはバルバロッサ作戦を発動し、東ヨーロッパのソ連占領地域にドイツ軍が侵攻を開始した。これを見てチャーチルはその日のうちにスターリンに無条件の協力を約束する電報を送った。この時チャーチルは秘書に「ヒトラーが地獄へ攻めいれば、私は地獄の大王を支援するのだ」と語ったという。 1941年8月にもイギリスとソ連は共同でイランへ侵攻し、同国の石油資源を確保しつつ、ソ連支援ルートを作った。当面イギリスがソ連に対して行える支援はこのルートを使っての物資支援に限られていた。スターリンはチャーチルにフランスへ上陸して「第二戦線」(西部戦線)を開くよう再三要求し、イギリス国内でも左翼が「即刻、第二戦線を」と街の壁のあちこちに落書きして歩くようになった。だがチャーチルはこれを拒否し続けた。一度、駐英ソ連大使が「第二戦線を開け」とあまりにしつこかった時には、つい最近までの独ソの近しい関係を引き合いに出し、「貴方がたに何か要求される筋合いはない」と突っぱねた。アメリカ参戦後にはアメリカのルーズベルトが第二戦線論に乗り気だったが、チャーチルはルーズベルトに直談判して中止させ、北アフリカのアルジェリア・モロッコへの上陸作戦に変更させた。結局、1944年6月のノルマンディー上陸作戦まで本格的な「第二戦線」が開かれることはなかった。
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