独ソ戦、ルガ攻略戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 01:40 UTC 版)
「第4SS警察装甲擲弾兵師団」の記事における「独ソ戦、ルガ攻略戦」の解説
独ソ戦では、北方軍集団の第4装甲軍に配備された。師団の装甲猟兵大隊は先に到着していたが、師団本体は既に陥落したディナブルクへ輸送され、スターリンラインに沿って進軍し、レニングラードに迫った。部隊はレニングラード近傍のルガにおいて、体勢を立て直したソビエト軍の大きな抵抗に遭遇した。 ルガ周辺のソビエト軍は、湿地や森林や湖等の地形と塹壕を組み合わせた防衛線を引いていた。ルガ攻略は1941年8月7日に計画されていた。作戦名「ベルリン」では、第56軍団により、ルガ近辺の敵を包囲する予定であった。天候の関係で、攻撃は8月9日の深夜から8月10日の早朝に行われた。左翼に第269歩兵師団、右翼に第3自動車化歩兵師団を配置して、ルガの南方のクット(Kut)、スメルディ(Smerdi)、ストヤノフッシナ(Stojanowtschina)近傍のソビエト軍に対して攻撃を加えた。ストヤノフッシナは8月12日に陥落するが、敵の防御も強力で、大損害をだした。8月16日、マンシュタインはソビエト第34軍の側面を突くために、SSトーテンコッフ師団と第3自動車化歩兵師団を引き抜いた。これは、ルガ近辺の右翼の攻撃を行っていた部隊がいなくなることを意味しており、計画の再構成が必要となった。そこで、南からの攻撃を諦め東からの攻撃を行うことを計画した。スタートプラッツ作戦(Unternehmen "Startplatz",英訳:Operation Starting Point)において、師団の第2連隊と第3連隊は当方からの攻撃を行った。攻撃は成功し、8月24日にはルガが陥落した。この戦いでこの師団は2000人以上の大損害を出した。
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