第1装甲集団とは? わかりやすく解説

第1装甲集団 (第12軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 21:34 UTC 版)

ユーゴスラビア侵攻」の記事における「第1装甲集団 (第12軍)」の解説

4月8日の朝早く第一装甲集団ソフィア北西集結地点から進軍開始したピロト(Pirot)近郊国境通過した14装甲軍団は第11装甲師団先導し第5装甲師団、第294歩兵師団、第4山岳師団が後に続いて北西ニシュ方面向かって進軍した悪天候多数路上障害物ユーゴスラビア第5軍激し抵抗にもかかわらず強力な砲兵隊空軍効果的な援護受けた11装甲師団速やかに前進し、敵の防衛線を僅か1日突破したユーゴスラビア陸軍司令官は、自軍モラヴァ背後へと撤退するよう命じるほど、この最初の戦闘におけるドイツ軍成功に強い衝撃受けた。この撤退は、4月9日という早い時期ドイツ軍戦車ニシュへと突き進み、すぐにベオグラード向けて進撃続けたため、時期逸するになってしまった。ニシュ北西からは、ドイツ軍にとって地形はより好ましい物となったモラヴァ谷を機甲部隊縦隊首都ベオグラードまで続けて進軍することができたのであるパラチンの南とクラグイェヴァツ南西で、ユーゴスラビア第5軍ドイツ軍進撃止めよう試みるが、いくつかの激し戦闘の後総崩れとなり、ユーゴスラビア軍は5,000人以上の捕虜をこの僅かな期間に出す結果となった一方で第5装甲師団ピロト近郊の状態の悪い道路影響一時的に遅れをとった。再び進軍開始した後、師団は、ニシュ南方へと転進しLeskovac周辺敵軍殲滅するようにとの命令受けたニシュ方面前線ユーゴスラビア軍崩壊寸前であることが明らかになると、第5装甲師団第12軍直属戻されギリシャ戦線のために第40装甲軍団加わった4月10日、第14装甲軍団モラヴァ谷を通って順調に前進しており、首都へと退却する敵軍部隊近距離追跡していた。翌日ドイツ軍先鋒は突然、退却中のユーゴスラビア第6軍の南の側面部隊攻勢掛け4月12日早い時間帯のうちにこれを壊滅させた。その日の夜までに、第1装甲集団はベオグラードから40マイル以内位置にまで進出した。彼らが遭遇した2つユーゴスラビア軍部隊は、最早ドイツ軍進撃遅らせるいかなる手段をも持っておらず、ドイツ軍ユーゴスラビア領に侵入した地点から現在地に至る125マイルにも及ぶ連絡線遮断する手段また、一つとして持っていなかった。

※この「第1装甲集団 (第12軍)」の解説は、「ユーゴスラビア侵攻」の解説の一部です。
「第1装甲集団 (第12軍)」を含む「ユーゴスラビア侵攻」の記事については、「ユーゴスラビア侵攻」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第1装甲集団」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第1装甲集団」の関連用語

第1装甲集団のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第1装甲集団のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのユーゴスラビア侵攻 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS