ベオグラード陥落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 21:34 UTC 版)
「ユーゴスラビア侵攻」の記事における「ベオグラード陥落」の解説
3つの別々の軍団が同時にベオグラードに集まってきていたため、陸軍総司令部はどの部隊が最初に敵国の首都に到達するかをすぐに決定することはできなかった4月12日の夕方にかけて、第2自動車化歩兵師団のフリッツ・クリンゲンベルクSS中尉はドナウ川の橋が全て破壊されているのを発見し、拿捕したゴムボートでSSによる川の哨戒を行った。クリンゲンベルク率いる武装SS隊員11名はドナウ川を渡ってベオグラードに入り、17時にはドイツの公使館の上に鉤十字旗を掲げた。クリンゲンベルクはユーゴスラビア当局に抑留されていたドイツ外務省の代表を解放し、約2時間後、ベオグラード市長から正式に降伏を取り付けた。 第2軍の司令部では、第8装甲師団からは24時間何の報告も受けずにいた。先立って第8装甲師団はベオグラードの西の郊外に近づいているという報告がなされていた。遂に4月13日の午前11時52分、以下のラジオメッセージが師団の作戦将校から届けられた。 夜の間に第8装甲師団はベオグラードに突入し、都市の中心部を占領して鉤十字旗を掲げるに至った。 しかしながら、より良好な通信が第2軍と第1装甲集団の間に存在したため、以下の速報が第8装甲師団のメッセージが入るよりも若干早く届けられた。: クライストの装甲軍団は南からベオグラードへ侵入した。自動車化歩兵連隊“グロースドイッチュラント”の武装親衛隊は北から都市へ入った。クライスト大将を先頭に、第11装甲師団は午前6時32分に首都へ入っていた。 このように、ベオグラードを巡る競争は、3つの軍集団がほとんど同時期に目標に到達するという際どい結果に終わった。首都の陥落により、残存ユーゴスラビア軍の追跡と最終的な破壊という次なる段階の作戦のために第46装甲軍団が装甲集団の直接の指揮下に置かれる間、第1装甲集団は第12軍から第2軍へと移された。
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