ベオグラード・プリシュティナ間交渉
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「セルビアとコソボの関係」の記事における「ベオグラード・プリシュティナ間交渉」の解説
「ベオグラード・プリシュティナ間交渉(英語版)」も参照 コソボの独立宣言以来、セルビアはコソボを相手方とする直接の交渉を拒否し、国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)および欧州連合・法の支配ミッション(EULEX)を通じてのみ交渉を行った。しかし、その後、徐々にセルビアとコソボとの関係正常化に向かい始める。2011年に欧州連合はセルビアに対して、コソボとの境界に関する小規模な問題について議論するよう求めたのを手始めとし、2013年2月にはセルビアとコソボの大統領がブリュッセルで直接面会し、相互に連絡官を派遣することとなった。 2012年3月27日、4人のコソボのセルビア人が、セルビア本土から境界を超えてコソボに戻ろうとしたところをコソボ警察に逮捕され、「民族間の憎悪と不寛容を扇動した」として拘束された。 翌日、労働組合活動家のハサン・アバジ(英語版)とアデム・ウルセリ(Adem Urseli)はジラニ / グニラネ付近でコソボから境界を超えてセルビアに入ったところをセルビア警察に逮捕された。アバジはスパイ行為、ウルセリは麻薬密輸の容疑で拘束された。セルビア内務大臣のイヴィツァ・ダチッチは彼らの逮捕について、「セルビア警察はこの方法を使いたくはなかったが、現在の情勢はそれを許さなかった。逮捕に関して苦情を申し立てるのならば、我々はそれに答える」と述べた。アバジの弁護士によると、アバジは独居房に収監されていた。 3月30日、セルビア・ヴラニェの高等裁判所はアバジに対して、1999年に北大西洋条約機構(NATO)の連絡員としてスパイ活動をした罪で、30日の服役を命じた。アムネスティ・インターナショナルはアバジの逮捕に対して抗議し、ヒューマン・ライツ・ウォッチも逮捕を「横暴」と断じた。 2012年10月19日、欧州連合の仲介により、セルビアとコソボの関係正常化に向けた交渉がブリュッセルで始まり、セルビア首相・イヴィツァ・ダチッチ(英語版)とコソボ首相ハシム・サチが交渉の席についた。コソボとの関係正常化はセルビアの欧州連合加盟交渉開始の条件とされていた。 両政府は、移動の自由や大学の学位、地域的な国際会議への参加や貿易、関税など、多方面にわたる合意を積み重ねていった。ブリュッセルで合意が交わされた境界管理の合意は2012年12月10日より施行された。2013年2月6日、セルビア大統領トミスラヴ・ニコリッチと、コソボ大統領アティフェテ・ヤヒヤガが交渉の席につき、コソボの独立宣言以降、両政府の大統領が直接面会する歴史的な会合となった。 2012年12月の合意に基づき、セルビアとコソボは相互に連絡官を派遣した。コソボはこの連絡官を「大使」と称したが、セルビアはこうした呼称・扱いを否定している。 セルビアの首脳らは2013年3月11日、欧州連合外務・安全保障政策上級代表キャサリン・アシュトンと面会し、セルビア大統領トミスラヴ・ニコリッチは双方の関係を改善する合意の締結まであとわずかのところまで来ていると述べた。 2013年4月19日、両政府はセルビア、コソボ双方の欧州連合加盟への道を開く、関係正常化に向けての歴史的な合意の締結に至った。合意では、コソボに住む少数派のセルビア人のために、コソボ警察にセルビア人の司令官を置き、セルビア人地域を管轄する上級裁判所を設置し、これらをプリシュティナのコソボ政府の統制下に置くことなどが定められ、セルビアがコソボを国家として公式に承認することなく、セルビア人地域を含むコソボの全てがプリシュティナの手に委ねられることとなった。コソボ北部(英語版)を中心とするセルビア人が多数派を占める地域による共同体には、コソボ政府から特別の権限を与えられる。アシュトンは「我らが目にしているのは、過去と決別する一歩であり、双方がヨーロッパに近づく一歩である」と述べ、またコソボのサチは「我らが合意を履行する知恵と知識を持つならば、この合意は我らの過去の傷を癒すものとなるだろう」と述べた。
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