第III装甲軍団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/07 06:30 UTC 版)
「第3軍団 (ドイツ国防軍)」の記事における「第III装甲軍団」の解説
1942年6月、第III装甲軍団(III Panzer Corps)は第III軍団から編成され、A軍集団隷下の部隊としてブラウ作戦を遂行し、コーカサスを占領した。その後、スターリングラードの戦いで第6軍が壊滅すると、ハルキウに駐留するドン軍集団の指揮下に入った。クルスクの戦いでは第4装甲軍の右翼を支援するケンプフ軍支隊(英語版)に所属した。その後、ローランド作戦(英語版)で、ベルゴロドのドニエプル川沿いに構築されたパンタ-=ヴォータン(Panther-Wotan)防衛線まで退却した。 1944に入ると、コルスン包囲戦に参加し、ソ連軍に包囲された第XI軍団(英語版)と第XLII軍団の2個軍団を救出した。しかし3月にはカメネツ=ポドリスキー包囲戦にて第III装甲軍団が所属する第1装甲軍が包囲されると、司令官ヘルマン・ブライト装甲兵大将は部隊をブライト集団(Gruppe Breith)に編成した。 1944年後期、第III装甲軍団はブダペスト包囲戦のコンラート作戦(英語版)にてハンガリー守備隊と共に戦った。その後、春の目覚め作戦に参加した。第III装甲軍団はオーストリアで米軍に包囲され、1945年5月8日に降伏した。
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