アルメニア第一共和国とは? わかりやすく解説

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アルメニア第一共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 18:10 UTC 版)

アルメニア共和国
Հայաստանի Հանրապետություն
1918年 - 1920年

国旗国章
国歌: Մեր Հայրենիք(アルメニア語)
我が祖国

  実際の勢力圏
  領土主張圏
  セーヴル条約で与えられた領土
公用語 アルメニア語
首都 エレバン
首相
1918年 - 1919年 ホヴハンネス・カチャズヌニ
1919年 - 1920年アレクサンドル・ハティシアンロシア語版
1920年 - 1920年ハモ・オハンジャニアン英語版
1920年 - 1920年ハモ・オハンジャニアン
面積
1919年70,000km²
1920年160,000km²
人口
1918年500,000人
1919年1,300,000人
変遷
独立 1918年5月28日
ボリシェヴィキに権力を移譲1920年12月2日
通貨アルメニア・ルーブル
現在 アルメニア

アルメニア共和国(アルメニアきょうわこく、アルメニア語: Հայաստանի Հանրապետություն)は、ロシア革命後、1918年から1920年にかけてアルメニアに存在した国家である。ザカフカース民主連邦共和国の崩壊にともない独立・建国されたもので、民族主義的な社会主義政党のアルメニア革命連盟(ダシュナク党)を政権の中軸としていた。またセーヴル条約ではオスマン帝国から広大な領土を編入することになっていた。

しかし隣接するアゼルバイジャン民主共和国とは折り合いが悪く、ナゴルノ・カラバフをめぐって交戦した。また1918年にはグルジア民主共和国とも短期の戦争になった。そのうちに北からはボリシェヴィキの、西からはムスタファ・ケマル・パシャの率いるトルコアンカラ政府からの圧迫を受け、1920年12月2日には赤軍が首都エレバンに入城し政権は崩壊、アルメニア・ソビエト社会主義共和国の樹立が宣言された。

ソビエト連邦の崩壊後のアルメニアは、自己を「第二共和国」と規定し、この時期の政体を「第一共和国」と呼称することで、両者の連続性を強調している[1]

なお、1920年7月にアルメニア政府(首相ハモ・オハンジャニャン)によって駐日アルメニア共和国領事に任命されたディアナ・アブガルは、世界初の女性外交官と言われている[2]。ダイアナは1889年に新婚旅行で日本を訪れたのをきっかけに、1891年から夫ともに日本で商売を始め、1937年に横浜で亡くなった[2]

脚注

  1. ^ 吉村貴之「アルメニア / 『第二共和国』の政治 - 安定か停滞か」『アジ研ワールド・トレンド』第8巻第4号(通巻第79号)、アジア経済研究所広報部、2002年4月、31頁、ISSN 13413406NAID 40005089033 
  2. ^ a b メスロピャン メリネ「ダイアナ・アプカーの日本における人道的活動 : アルメニア人大虐殺(1915-23)を逃れた避難民の救済」『国際文化研究』第22号、東北大学国際文化学会、2016年3月、141-154頁、ISSN 1341-0709NAID 120005841796 

アルメニア第一共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 05:32 UTC 版)

アンドラニク・オザニアン」の記事における「アルメニア第一共和国」の解説

詳細は「アルメニア第一共和国」を参照 サルダラパートの戦いでアルメニア軍善戦によりオスマン軍足止めされているのを好機見てとり、アルメニア民族ソビエト(en)はロシア領内であった部分アルメニア独立宣言し、ここにアルメニア第一共和国が成立した。しかし、アンドラニク民族ソビエトオスマンとの間に結んだバトゥミ条約英語版)によって、西アルメニア対す要求放棄したことを「アルメニア人40年求め続けた西アルメニア以外の部分など、ただ埃っぽい地方に過ぎない」として激しく非難し民族ソビエト主導していたダシュナク党に対しても強い反感を抱くようになったアンドラニクペルシア北部駐留するイギリス軍合流しようと試みたが、オスマン大軍遭遇したためにナヒチェヴァンへの後退余儀なくされた。やがてアンドラニクダシュナク党への反発からボリシェヴィキとの連携模索するようになり、6月14日にはナヒチェヴァンソビエト・ロシアの「不可分な要素」であるとも宣言したアンドラニクのこの動きボリシェヴィキステパン・シャウミャンウラジーミル・レーニン歓迎された。

※この「アルメニア第一共和国」の解説は、「アンドラニク・オザニアン」の解説の一部です。
「アルメニア第一共和国」を含む「アンドラニク・オザニアン」の記事については、「アンドラニク・オザニアン」の概要を参照ください。

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