アルメニア王国の首都
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 16:03 UTC 版)
「ティグラノセルタ」の記事における「アルメニア王国の首都」の解説
ティグラネス2世は紀元前83年に新都ティグラノセルタを建設し、紀元前77年にアルタクサタから首都を移すと、メソポタミア・キリキア・カッパドキアなどからギリシア人・ユダヤ人・アラブ人などを移住させた。ローマの歴史家カッシウス・ディオは「建設する都市の人口を補うために、ティグラネス2世は多くの住民に移住を強要した」と書いている。新都は城壁を備えた大規模な都市であり、貯蔵庫や厩舎も城壁の内側にあったという。城壁の外側には庭園や猟場があった。 街の市場は世界中から集まった貿易商であふれ、近東の重要な商業拠点だけでなく文化拠点にもなっている。ティグラネス2世によって劇場が建設され、ギリシア人俳優などが戯曲を演じた。上層階級はペルシア語とギリシア語を話し、庶民はアルメニア語を話した。ローマの著述家プルタルコスはティグラノセルタについて、「あらゆる平民や貴人が色を添えようと努めている、豊かで美しい都市」と書いている。アルタクシアス朝期のヘレニズム文化は強い影響力を持ち、実際にギリシア語は宮廷での公用語だった。ティグラネス2世はアルメニア王国を4つの戦略的地域や州に分割した。
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