終結とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 06:31 UTC 版)
「アルメニア・トルコ戦争」の記事における「終結とその後」の解説
その後も、キャズムの軍団は、攻撃に快進撃を続け、ダシュナクの軍隊は本拠点であるアルメニア共和国まで後退した。 そして、アンカラ政府は、両方と11月に休戦。1920年12月1日、ギュミュルにて、ギュミュル条約で講和、締結してひとまず終戦した。この条約で露土戦争以来のトルコ東部国境を回復し、セーブル条約の実行を無効とし、トルコ革命の成功への一歩となった。そして、この条約の締結の翌日に当たる1920年12月2日、アルメニア第一共和国は、ロシア・ソビエト政府の赤軍の攻撃をうけ、アルメニア・ソビエト社会主義共和国となり崩壊した。また、アンカラ政府と、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国は、1920年3月にモスクワ条約を締結している。
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