アルメニア・トルコ戦争とは? わかりやすく解説

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アルメニア・トルコ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/10 23:33 UTC 版)

トルコ・アルメニア戦争

戦争トルコ独立戦争
年月日:1920年9月~12月
場所:アナトリア半島東部、コーカサス
結果:アンカラ政府の勝利

アルメニア第一共和国の崩壊

交戦勢力
アンカラ政府 アルメニア第一共和国

ダシュナク派

指導者・指揮官
キャーズム・カラベキル 多数
戦力
多数 多数

トルコ・アルメニア戦争(とるこ・あるめにあせんそう)は、: Armenian-Turkish war)は、1920年9月から12月までトルコのアンカラ政府アルメニア第一共和国アルメニア革命連盟)間で行われた戦争である。

開戦までの経緯

パリ講和会議で既に成立していたアルメニア第一共和国は、東部アナトリアアルメニア人が独立国家を作ることを提案し、セーブル条約で承認された。そして、アルメニア革命連盟が武装蜂起する。トルコ大国民議会の国民誓約に基づき、アンカラ政府は、領土を一切割譲しないとし開戦に至った。 

経緯

キャーズム・カラベキル

キャーズム・カラベキルを指揮官とした、アンカラ政府軍はトルコ革命における東部戦線を構築し、戦闘に至った。アルメニア第一共和国と共闘するダシュナク派だったが、戦闘に行き詰まりを感じ、アメリカロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に支援を求めたが、ロシア・ソビエトは、コーカサスの支配を目指し、アメリカもこれを拒否した。

終結とその後

その後も、キャズムの軍団は、攻撃に快進撃を続け、ダシュナクの軍隊は本拠点であるアルメニア共和国まで後退した。 そして、アンカラ政府は、両方と11月に休戦。1920年12月1日、ギュミュルにて、ギュミュル条約で講和、締結してひとまず終戦した。この条約で露土戦争以来のトルコ東部国境を回復し、セーブル条約の実行を無効とし、トルコ革命の成功への一歩となった。そして、この条約の締結の翌日に当たる1920年12月2日、アルメニア第一共和国は、ロシア・ソビエト政府の赤軍の攻撃をうけ、アルメニア・ソビエト社会主義共和国となり崩壊した。また、アンカラ政府と、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国は、1921年3月にモスクワ条約を締結している。

関連項目

参考文献

  • 設樂國廣(2016) 『ケマル・アタテュルク』、山川出版社



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