戦闘の終結とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 10:00 UTC 版)
「ザスバッハの戦い」の記事における「戦闘の終結とその後」の解説
テュレンヌの死がフランス軍の間に知れ渡ると、悲痛、仰天、怒りなど様々な感情が巻き起こった。兵士たち、特に歩兵たちはテュレンヌ元帥を好んだ。一部では「我らの父は死んだが、その仇は必ず討つ」(Notre pere est mort, mais il faut le venger.)との声もあった。士官の1人が一時異議を唱えたが、当時中将であったギー・アルドンセ・ド・デュフォール・ド・ロルジェ(英語版)が指揮を引き継いだ。フランス軍は砲撃を続けたが、やがて大規模な戦闘にならないことが明らかになった。フランス軍は7月29日から30日にかけての夜に紀律を保って撤退した。志願兵の1人は後にテュレンヌの計画が彼の死とともに崩れ去ったと述べ、指揮を引き継いだ将軍たちの軍功は安全にライン川を渡って宮廷の命令を待ったという一点だけだったとも述べた。モンテクッコリは撤退するフランス軍を追撃したが、27日にテュレンヌの死を知った直後に攻撃しなかった理由は不明だった。テュレンヌからの攻撃を防ぐ必要があった場面でもあったため、攻撃を考えなかった可能性もあった。モンテクッコリはシュッテル川(英語版)でフランス軍と戦ったがフランス軍がアルザスへと撤退することを防ぐことができなかった。
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