テュレンヌの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 10:00 UTC 版)
午後2時頃、モルメはテュレンヌにヘルマン・フォン・バーデン=バーデン(英語版)率いる帝国軍の砲兵の攻撃を止めるべく設置した大砲を視察するよう求めた。このとき、士官の1人が敵軍の砲火に気をつけるよう注意を促した。砲撃が特に激しい理由にはモルメが赤いマントを羽織っていて格好の的になったことが挙げられる。Laura Wardによると、テュレンヌは助言に従って気をつけており、「わたしは今日殺されたくない」(je ne veux point etre tue aujourd'hui)と発言したという。モルメとテュレンヌが打ち合わせている間、帝国軍の砲弾が2人を直撃した。この砲撃によりモルメは左腕を失い、テュレンヌは肩から側面を貫通された。テュレンヌは2歩歩き、言葉を発することはなく倒れた。モルメは生き延びたが、テュレンヌはこの傷で死亡した。 フランス軍ははじめテュレンヌの死を隠そうとした。一方、モンテクッコリは午後の中ごろになっても全面戦闘にならないのを意外に感じていた。やがて、テュレンヌの死を知ると、彼は「今日、人類に栄光をもたらした人間が死んだ。」と述べたという。
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