実在についての疑問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 00:20 UTC 版)
屈原の伝記や、楚辞を屈原が作ったとする伝承には疑問が提出されている。胡適は『史記』の屈原の伝の信憑性を疑い、司馬遷の作ではないとした。また戦国時代にはひとつの国の主君に忠誠をささげるという観念はまだ発達しておらず、『史記』の屈原像は漢代にはいってから儒教化した楚辞の解釈をもとに作られた「複合物」であるとした。日本では岡村繁が、屈原という人物の実在は否定しないものの、その生涯について知られていることがあまりにも少なく、また楚辞のうちどれを屈原の作とするかは時代による違いがあるとした。また楚辞の中の語彙の類似性からは「離騒」と「九章」中の「哀郢」が最初に書かれたと考えられるが、両者の作者は別であると考えられ、どちらも屈原の作品とは認められないと結論づけた。岡村によれば屈原は楚辞文学のヒーローであって、その作者ではない。小南一郎は楚辞を前期・中期・後期の3つの時代にわけ、「九歌・招魂」を前期、「離騒・天問」を中期、「九章・遠遊・九弁・大招・卜居・漁夫」他を後期とする。そして前期は安定した時代を反映し、中期はそれが崩壊に向かう戦国末年の激動期の楚国のものであるとした。矢田尚子は「九歌・遠遊・九弁・招魂・大招」などは内容から明らかに屈原とは無関係とし、また「離騒」を屈原の自伝とすると後半の解釈に無理が及び、そもそも自叙的な詩ではないとした。
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