多治比真宗とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 多治比真宗の意味・解説 

多治比真宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/01 15:13 UTC 版)

多治比 真宗(たじひ の まむね、神護景雲3年(769年) - 弘仁14年6月11日823年7月22日))は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての桓武天皇夫人参議多治比長野の娘。官位は正三位

生涯

延暦5年(786年)には所生の葛原親王が生まれているので、この頃までには桓武天皇に入内している。『一代要記』によると、延暦16年(797年)に従三位に叙され、夫人となったという。後宮では葛原親王をはじめ六親王を生んだ。

その後、息子の佐味親王と同居していた頃には、藤原仲成が妻(笠江人の娘)の叔母に言い寄り、それを嫌った叔母が真宗と佐味親王の邸に逃げこむと、仲成はそこにあがりこみ暴行を加えた、ということがあった[1]弘仁14年(823年)に死去。正二位を追贈された[2]。葬儀に際して、四位2人、五位5人、六位以下11人からなる葬司が任命され[3]淳和天皇が詔りしている(内容は不明)[4]

系譜

葛原親王は桓武平氏の祖となった。

脚注

  1. ^ 日本後紀』弘仁元年(810年)九月戊申(11日)条(藤原仲成薨伝)
  2. ^ 『日本後紀』弘仁14年(823年)六月甲午(11日)条
  3. ^ 『日本後紀』弘仁14年(823年)六月丙申(13日)条
  4. ^ 『日本後紀』弘仁14年(823年)六月丁酉(14日)条

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  多治比真宗のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「多治比真宗」の関連用語

多治比真宗のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



多治比真宗のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの多治比真宗 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS