多治比清貞とは? わかりやすく解説

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多治比清貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/25 04:00 UTC 版)

 
多治比清貞
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 承和6年1月23日839年2月10日
官位 従四位下伊勢守
主君 嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇
氏族 多治比真人→丹墀真人
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多治比 清貞(たじひ の きよさだ)は、平安時代初期の貴族漢詩人多治比真人のち丹墀真人。官位従四位下伊勢守

経歴

播磨権少掾などを経て、弘仁11年(820年従五位下叙爵

淳和朝末の天長10年(833年)正月に従五位上に昇叙されると、同年3月の仁明天皇即位後まもなく右少弁に、5月には左少弁に任ぜられる。しかし、翌承和元年(834年)伊勢守に任ぜられ地方官に転じる。伊勢守を務める間に、承和3年(836年正五位下、承和5年(838年従四位下と順調に昇進した。承和6年(839年)正月23日卒去。最終官位は伊勢守従四位下。

漢詩人として『凌雲集』に2首、『文華秀麗集』に1首の漢詩作品が採録されている。

官歴

注記のないものは『六国史』による。

脚注

  1. ^ 『凌雲集』
  2. ^ 『続日本後紀』。『日本三代実録』では天長9年4月25日とする。

参考文献

  • 森田悌『日本後紀 (下)』講談社講談社学術文庫〉、2007年
  • 森田悌『続日本後紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、2010年
  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年
  • 中田憲信編、木村信行訳『皇胤志 第二巻』日本歴史研究所、1994年



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