多治比継兄とは? わかりやすく解説

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多治比継兄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/05 08:55 UTC 版)

 
多治比継兄
時代 奈良時代 - 平安時代初期
生誕 不明
死没 大同4年7月11日809年8月25日
官位 従四位上神祇伯
主君 光仁天皇桓武天皇
氏族 多治比氏
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多治比 継兄(たじひ の つぐえ)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族官位従四位上神祇伯

経歴

光仁朝末の宝亀11年(780年従五位下民部少輔に叙任される。翌天応元年(781年桓武天皇即位後まもなく豊後守に遷ると、天応2年(782年大宰少弐と桓武朝初頭は九州地方の地方官を歴任する。延暦7年(788年右少弁に任ぜられて京官に復すが、延暦9年(790年)には大宰少弐に再任される。

その後、従四位下まで昇進したのち、延暦16年(797年中務大輔、延暦18年(799年)神祇伯兼右京大夫、延暦24年(805年)兼右兵衛督など、桓武朝後半は京官を歴任している。

平城朝大同4年(809年)7月11日卒去。最終官位散位従四位上。

官歴

六国史』による。

脚注

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参考文献




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