伊予親王の変
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伊予親王の変(いよしんのうのへん)は、大同2年(807年)に起こった政変。藤原吉子・伊予親王母子が処罰され2人は自殺したが、後に無罪が認められた。
注釈
出典
- ^ 目崎徳衛「平安時代初期にあける奉献」『平安文化史論』桜楓社、1968年
- ^ 西本昌弘 「早良親王薨去の周辺」初出:日本歴史学会 編『日本歴史』629号、2000年10月 p.69-74/所収:西本『平安前期の政変と皇位継承』所収、吉川弘文館、2022年 ISBN 978-4642046671 p.14-23
- ^ 西本昌弘「神泉苑御霊会と聖体護持」『平安前期の政変と皇位継承』(吉川弘文館、2022年), pp. 237-240:初出:原田正俊 編『アジアの死と鎮魂・追善』(勉誠出版 アジア遊学245、2020年)
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- 2 伊予親王の変の概要
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