橘百枝とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 橘百枝の意味・解説 

橘百枝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/24 02:28 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
 
橘百枝
時代 奈良時代後期 - 平安時代前期
生誕 宝亀6年(775年
死没 仁寿4年4月2日854年5月2日
官位 従四位下伊勢介
主君 桓武天皇平城天皇嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇文徳天皇
氏族 朝臣
父母 父:橘綿裳
兄弟 継成、百枝
テンプレートを表示

橘 百枝(たちばな の ももえ)は、平安時代初期の貴族従四位上橘綿裳の子。官位従四位下伊勢介

経歴

延暦18年(799年内舎人に任ぜられる。大同2年(806年)に発生した伊予親王の変連座して、常陸員外掾左遷される。

その後罪から許されたらしく、嵯峨朝末の弘仁13年(822年従五位下叙爵淳和朝天長7年(830年)従五位上・伊勢介に叙任される。仁明朝後半に昇進し、承和13年(846年正五位下、承和15年(848年従四位下に至る。長命を保ち、桓武平城・嵯峨・淳和・仁明・文徳の六朝に仕えた。仁寿4年(854年)4月2日卒去享年80。最終官位散位従四位下。

人物

文書を理解できなかった一方、猟犬などの狩猟を好み、常に漁撈狩猟を行い休むことがなかった。剃髪して僧侶となり、臭いの強い野菜を食さなかった。大和国山辺郡に邸宅があったが、ある時に、池のが崩れ壊れるほどの洪水により、建物はことごとく流失してしまったが、百枝だけは身体を木に紐で繋ぎ止めて、僅かに生き残ることができたという[1]

官歴

六国史』による。

脚注

  1. ^ 日本文徳天皇実録仁寿4年4月2日条



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「橘百枝」の関連用語

橘百枝のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



橘百枝のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの橘百枝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS