藤原時明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 01:57 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動藤原 時明(ふじわら の ときあきら)は、平安時代中期の貴族。藤原北家魚名流、摂津守・藤原佐忠の子。官位は正五位下・山城守。
経歴
円融朝で六位蔵人兼刑部少丞を務める。その後、一条朝初頭にかけて上野介・和泉守と地方官を務めた。正暦2年(991年)頃に皇太后宮進および東三条院別当として、一条天皇の国母であった藤原詮子に仕え、この頃には右衛門権佐も兼帯している。
のち、大和守・山城守と地方官を歴任し、位階は正五位下に至る。長徳4年(998年)頃に卒去したか。
官歴
- 天禄3年(972年) 10月21日:見六位蔵人兼刑部少丞[1]
- 時期不詳:上野介[2]
- 永延元年(987年) 6月10日:見和泉守[3]
- 永祚2年(990年) 9月15日:見和泉守[3]
- 正暦元年(990年)頃:兼右衛門権佐?[4]
- 時期不詳:皇太后宮進
- 正暦2年(991年) 9月16日:東三条院別当[5]
- 時期不詳:大和守[2]
- 長徳2年(996年) 日付不詳:見山城守[6]
- 長徳4年(998年) 日付不詳:卒去?(正五位下)[6]
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
参考文献
- 藤原時明のページへのリンク