惟恒親王とは? わかりやすく解説

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惟恒親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/06 10:26 UTC 版)

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惟恒親王
続柄 文徳天皇皇子
全名 惟恒(これつね)
身位 三品・親王
出生 不明
死去 延喜4年4月8日904年5月25日
父親 文徳天皇
母親 藤原今子
役職 常陸太守
上野太守
弾正尹
兵部卿
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惟恒親王(これつねしんのう、生年不詳 - 延喜4年4月8日904年5月25日))は、平安時代前期の皇族文徳天皇皇子官位三品兵部卿

経歴

貞観3年(861年)同母妹(礼子内親王)とともに名を定められて親王となる。貞観13年(871年四品に叙せられ、貞観14年(872年常陸太守に任ぜられる。清和朝末の貞観17年(875年治部卿上野太守となる。

陽成朝に入ると元慶元年(877年弾正尹に遷る。元慶8年(884年光孝天皇即位後に兵部卿に転じると、その後宇多醍醐朝にかけて20年の長きに亘ってこれを務めた。また、時期は不明ながら三品に至っている。

延喜4年(904年)4月8日薨去。最終官位は兵部卿三品。

官歴

注記のないものは『日本三代実録』による。

系譜

尊卑分脈』による。

脚注

  1. ^ 『日本紀略』

参考文献




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