総社藩とは? わかりやすく解説

総社藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/02 14:12 UTC 版)

総社藩(そうじゃはん)は、上野国群馬郡の総社(現在の群馬県前橋市総社地区付近)を居所として、徳川家康の関東入国後に成立し、江戸時代前期まで存在した。「惣社藩[1]との表記もある。


注釈

  1. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
  2. ^ 蒼海城は古代の上野国府跡を利用したという説があるが、それを明確に示す文献・考古資料は見つかっていない[4]
  3. ^ 『角川日本地名大辞典』がこの説を一説として記すが、天正18年(1590年)に諏訪郡に加えて惣社領を加増されたとするなど[8]、要領を得ない。
  4. ^ 武徳編年集成[10]、『改正三河後風土記[11]とも、「奈良梨」を「奈良尻」としている。
  5. ^ 『角川日本地名大辞典』が引く一説[8]。ほか、『日本史広辞典』巻末附録「大名配置」は1592年に諏訪頼水が1万2000石(異説に2万7000石)で立藩とする[1]。『藩と城下町の事典』も、頼水が惣社周辺で1万2000石を与えられ立藩とする[13]
  6. ^ 『角川日本地名大辞典』が引く一説[8]、『朝日日本歴史人物事典』の諏訪頼忠の記述[7]
  7. ^ 国民図書版は長朝の記事で致仕を「元和元年」[16]とするが、翻刻の誤り。
  8. ^ 天狗岩用水は21世紀の現在も使われているが、取水口はさらに上流の坂東大堰(渋川市、国道291号坂東橋下)に設けられている[29]
  9. ^ 伝説上は、まだ6000石の領主だった時代ともされる[20]
  10. ^ 慶長6年(1601年)前後の登場人物の動向を『寛政譜』に従って見れば以下のとおりである。秋元長朝は文禄元年(1592年)に上野国碓氷郡内で500石を領して以来順次加増を受け、慶長6年(1601年)に6000石の加増を受けて合計1万石の大名となって総社を居所とした(総社藩主となった)[16]。井伊直政は慶長5年(1600年)末に高崎城に代わって近江佐和山城を与えられ[30](ただし上野国内にものちの安中藩3万石に相当する領地を維持した[30])、慶長6年(1601年)1月に佐和山に入国して、翌年同地で没した[31]。本多康重は慶長6年(1601年)2月に岡崎藩に移封された[32]
  11. ^ 前橋市では、前橋市域を治めた4つの大名家(前橋藩主酒井雅楽頭家・松平大和守家、総社藩主秋元越中守家、大胡藩主牧野駿河守家)を「前橋四公」と総称している[35]
  12. ^ 「田につとめて愛を遺せし碑[27]」と読まれる。
  13. ^ 「百姓ら建てる」であり、建碑者たちの個人名は記されていない[37]

出典

  1. ^ a b 『日本史広辞典』, p. 巻末82.
  2. ^ a b c d 総社(中世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月29日閲覧。
  3. ^ 総社郷(中世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月29日閲覧。
  4. ^ 『元総社蒼海遺跡群(31)』, p. 37.
  5. ^ a b c d 『元総社蒼海遺跡群(31)』, p. 39.
  6. ^ 『元総社蒼海遺跡群(31)』, p. 38.
  7. ^ a b c d 諏訪頼忠”. 朝日日本歴史人物事典. 2023年1月21日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 総社藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月29日閲覧。
  9. ^ 『藩と城下町の事典』, p. 196.
  10. ^ 武徳編年集成』巻之四十、国文研データセット 当該部分
  11. ^ 改正三河後風土記』巻第二十八、『改正三河後風土記 下』(金松堂、1886年)p.1093
  12. ^ a b c 『寛政重修諸家譜』巻第三百五十「諏訪」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.962
  13. ^ 『藩と城下町の事典』, p. 142.
  14. ^ a b c d e 『元総社蒼海遺跡群(31)』, pp. 38–39.
  15. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第三百五十「諏訪」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.963
  16. ^ a b c d e f g h i j k 『寛政重修諸家譜』巻第九百五十八「秋元」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第五輯』p.1047
  17. ^ a b c 『前橋市歴史的風致維持向上計画』 2022, p. 39.
  18. ^ a b 埼玉県立久喜図書館(回答). “深谷城開城の際の家老だった秋元長友について、以下の3点について日時・同行者などがわかる資料があるか。”. レファレンス協同データベース. 2023年1月29日閲覧。
  19. ^ a b c 惣社町(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月29日閲覧。
  20. ^ a b c d e f 秋元公が今も愛される5つの理由”. 前橋市. 2023年1月21日閲覧。
  21. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第九百五十八「秋元」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第五輯』p.1048
  22. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第千百十四「安藤」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第六輯』p.796
  23. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第千百十五「安藤」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第六輯』p.802
  24. ^ 『前橋市歴史的風致維持向上計画』 2022, p. 134.
  25. ^ a b 『前橋市歴史的風致維持向上計画』 2022, p. 133.
  26. ^ a b c d 世界かんがい施設遺産に登録 天狗岩用水の歴史が評価”. 前橋市. 2023年1月21日閲覧。
  27. ^ a b c d e f g 秋元公が愛される5つの理由”. 前橋市. 2023年1月21日閲覧。
  28. ^ a b 漆原村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月21日閲覧。
  29. ^ 施設”. 水土里ネット天狗岩(天狗岩堰土地改良区). 2023年1月21日閲覧。
  30. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第七百六十「井伊」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.1116
  31. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第七百六十「井伊」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.1117
  32. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第六百九十一「本多」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.696
  33. ^ a b 秋元越中守家(あきもとえっちゅうのかみけ)”. 前橋市. 2023年1月30日閲覧。
  34. ^ a b 『前橋市歴史的風致維持向上計画』 2022, p. 142.
  35. ^ 前橋の偉人たち「前橋四公」”. 前橋市. 2023年1月30日閲覧。
  36. ^ a b 歴史”. 水土里ネット天狗岩(天狗岩堰土地改良区). 2023年1月21日閲覧。
  37. ^ a b 『前橋市歴史的風致維持向上計画』 2022, p. 132.


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