佐渡奉行街道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/16 15:33 UTC 版)
佐渡奉行街道・佐渡街道・三国古道は中山道本庄宿と三国街道渋川宿を結ぶ街道の名称。
三国街道が高崎から分かれるようになる以前からの三国道であり、佐渡奉行が利用したことからこの名がある[1]。
経由地
経由地 | 現在の地名 | 接続する街道 |
---|---|---|
本庄宿 | 埼玉県本庄市 | 中山道 |
金久保村[2] | 埼玉県児玉郡上里町 | 中山道から分岐 |
藤木渡し[2](烏川[3]) | 埼玉県児玉郡上里町 | |
角渕村[4] | 群馬県佐波郡玉村町 | |
玉村宿 | 群馬県佐波郡玉村町 | 日光例幣使街道 |
総社宿 | 群馬県前橋市 | |
大久保宿 | 群馬県北群馬郡吉岡町[1] | 伊香保街道 |
八木原宿 | 群馬県渋川市[5] | |
渋川宿 | 群馬県渋川市 | 三国街道 |
新編武蔵風土記稿
『新編武蔵風土記稿』の「金窪村(金久保村)」に、「村内に中山道の往還あり。この道より北に別れる道を、三国街道といい、古中山道で、毘沙吐村の藤木渡しを越え、倉賀野へ出て今の道と合す」[2]、同じく毘沙吐村(現上里町)に「村内に三国街道の往還あり」「烏川。村の北、国界にあり。渡船場あり。三国海道の通る所。」[3]とある。
これとは別に、本庄宿より江戸寄りの「傍示堂村」(現本庄市傍示堂)の記述に、「村の中ほどより佐渡越後及び上野国沼田厩橋辺への脇往来分る」とあり[6]、傍示堂村より沼和田村(現本庄市沼和田)、都島村(同都島)、玉村町を経由する旧三国街道の筋も存在した[7]。
脚注
- ^ a b 佐渡街道の道しるべ.
- ^ a b c 新編武蔵風土記稿 金窪村.
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 毘沙吐村.
- ^ 『本庄宿』の再発見 vol.10.
- ^ 八木原の道しるべ.
- ^ 新編武蔵風土記稿 傍示堂村.
- ^ 本庄市教育委員会 2013, p. 28.
参考文献
- 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ239児玉郡ノ2.傍示堂村、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764012/35。
- 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ245加美郡ノ3.金窪村、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764012/94。
- 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ245加美郡ノ3.毘沙吐村、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764012/97。
- 本庄市教育委員会 『本庄市の鎌倉街道と中山道』本庄市教育委員会文化財保護課〈本庄市郷土叢書 第2集〉、2013年3月。 NCID BB14353724。OCLC 855411278 。2019年9月17日閲覧。
- “中山道最大の宿『本庄宿』の再発見 vol.10”. 埼玉県公式ホームページ. 2019年8月29日閲覧。
- “旧渋川市地区の指定文化財 八木原の道しるべ(やぎはらのみちしるべ)”. 渋川市観光情報サイト. 2019年10月19日閲覧。
- “佐渡街道の道しるべ|文化財|吉岡町観光情報”. 吉岡町役場ホームページ. 2019年8月29日閲覧。
外部リンク
- “佐渡奉行街道”. 2018年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月19日閲覧。
- 「佐渡奉行街道という街道が、三国街道以前にあったと思う。この街道についての所蔵資料から紹介してほしい。」(高崎市立中央図書館) - レファレンス協同データベース
- 佐渡奉行街道のページへのリンク