上野国の木部氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 20:08 UTC 版)
室町時代には上野国の木部城(緑野郡木部村、現代では高崎市木部町)により、古河公方の足利成氏に臣従していた。(木部城は烏川と鏑川に挟まれた低地にあった。) のちに扇谷上杉家の上杉定正にくみするようになったが、対立する山内上杉家の上杉顕定に攻められ、木部城を追われた(長享の乱)。 木部範次の代で木部城を取り戻し、その子木部範虎(駿河守)の時代に箕輪城の長野業正の傘下となった。範虎は武功により長野業正の娘(長野姫)を妻に迎え、長野氏の重臣の一人となった。武田信玄が上野国北部へ侵入すると、長野氏のもとで武田氏と戦いこれを退けたが、長野氏当主の業正が没し、長野業盛の代になると武田氏の侵攻を食い止められなくなり、敗れて長野氏は滅亡した。 その後、範虎とその子木部貞朝は武田氏に服属した。天正9年(1581年)の高天神城の戦いの際に範虎は、一番槍の軍功を挙げている。 天正10年(1582年)武田勝頼が天目山の戦いに敗れて自害したときに、範虎も殉死した。その後、子の貞朝は、上野国の覇権をめぐって北条勢と織田勢(滝川一益)の間で争われた神流川の戦いで討ち死にした。
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