下毛野国造とは? わかりやすく解説

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下毛野国造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/28 05:19 UTC 版)

下毛野国造(しもみつけぬのくにのみやつこ・しもつけぬこくぞう・しもつけののくにのみやつこ・しもつけのこくぞう)は下毛野国を支配した国造。もと毛野国造で、仁徳天皇朝~孝徳天皇朝に上毛野国造と分裂した。

概要

表記

古事記』では下毛野君、『日本書紀』、『先代旧事本紀』「国造本紀」では下毛野国造と表記される。

祖先

  • 『古事記』によると、崇神天皇の皇子・豊木入日子命が上毛野、下毛野君等の祖とされる。
  • 『日本書紀』によると、崇神天皇の皇子の豊城入彦命が東国統治を命じられ、上毛野国造や下毛野国造などの祖先になったという。また、その孫の彦狭嶋王景行天皇朝に東山道十五国都督に任じられ、その子御諸別王も引き続き、善政を行ったという。
  • 『先代旧事本紀』「国造本紀」によると、仁徳天皇朝に豊城入彦命の4世孫の奈良別が下毛野国造に任じられたという。

氏族

下毛野氏(しもつけのうじ、)。天武天皇13年(684年)に朝臣を賜った。延暦2年(783年)には降伏した蝦夷に下毛野姓が与えられた。

本拠

国造の本拠は小山市飯塚周辺か。

支配領域

国造の支配領域は当時下毛野国と呼ばれていた地域、後の那須国を除いた下野国と同じ領域で、現在の栃木県の南西部に当たる。

古代香取海に注ぐ毛野川流域には、崇神天皇の皇子豊城入彦命を祖とする一大豪族が毛野国けののくに)を形成し、大和朝廷においても強大な発言力を有していたが、その後毛野国は下毛野国と上毛野国(上野国)に分割された。古来より下毛野国は香取海に注ぐ毛野川流域であったが、利根川東遷事業により利根川に注ぐ毛野川流域地域となり、領域は現在の栃木県とほぼ同じである。

氏神

子孫

関連項目

参考文献

  • 『國史大辭典』(吉川弘文館)
  • 坂本太郎・平野邦雄『日本古代氏族人名辞典』(吉川弘文館)
  • 『日本史広辞典』(山川出版社)
  • 『神道大辞典』(臨川書店)




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