水野遵とは? わかりやすく解説

水野遵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/06 09:00 UTC 版)

水野遵

水野 遵(みずの じゅん / たかし、1851年1月4日嘉永3年12月3日) - 1900年明治33年)6月15日)は、日本の政治家官僚貴族院議員衆議院書記官長台湾総督府民政長官幼名・恂造、・大路。

経歴

愛知県出身。醤油屋・水野鼎斉の息子として生まれる。明治2年2月1869年3-4月)、駅逓司付属御雇、明治3年10月1870年11-12月)、名古屋藩史生となる。明治4年5月1871年6-7月)、清国に留学。1873年8月、海軍省十等出仕となる。1874年6月、台湾出兵に伴い台湾に出張。1875年6月、文部省に転じ学務課雇となり、長崎英語学校長、文部省一等属を歴任。

1883年4月、参事院に移り御用掛に就任。以後、同議官補、法制局参事官、同書記官、同参事官を務めた。1891年11月、衆議院書記官に就任し、1892年1月、同書記官長となる。

1895年5月、弁理公使・大本営付に発令され、初代台湾総督樺山資紀海軍大将に随行し台湾に渡る。初代の台湾総督府民政局長心得、民政局長に就任した。1897年7月に退任。

1897年12月23日、貴族院勅選議員に選任され[1]、死去するまで在任。その他、台湾銀行創立委員、鉄道国有調査会委員などを務めた。墓所は雑司ヶ谷霊園

栄典

位階
勲章等

伝記

  • 大路会編『大路水野遵先生』大路会事務所、1930年。

脚注

  1. ^ 『官報』第4346号、明治30年12月24日。
  2. ^ 『官報』第2187号「叙任及辞令」1890年10月11日。
  3. ^ 『官報』第3918号「叙任及辞令」1896年7月21日。
  4. ^ 『官報』第2853号「叙任及辞令」1893年1月4日。
  5. ^ 『官報』第3861号「叙任及辞令」1896年5月15日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
公職
先代
(新設)
台湾総督府民政局長
初代:1895年 - 1897年
民政局長官
1895年
民政局長心得
1895年
次代
曽根静夫
先代
曽祢荒助
衆議院書記官長
第2代:1892年 - 1895年
次代
奥田義人
先代
渡部温
長崎英語学校
1875年 - 1877年
次代
(廃止)




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