親露派の伸張とロシア軍の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 07:23 UTC 版)
「2014年クリミア危機」の記事における「親露派の伸張とロシア軍の展開」の解説
「2014年クリミア危機のタイムライン」も参照 2014年2月23日、セヴァストーポリの親露派住民が住民集会で、キエフからの如何なる指示にも従わないことを決議し、独自の「人民市長」を選出した。 2月26日には、親ロシアのコサック率いる数千人のデモ隊が、ウクライナ暫定政権を支持するイスラム教タタール人の同規模の勢力と衝突した。同日、ロシアのプーチン大統領はウクライナとの国境付近を含むロシア西部と中部での緊急軍事演習を命じた。 また同日、ウクライナ暫定政権はマイダン騒乱の際に市民を鎮圧した内務省治安部隊「ブルクート」を解散させた。元隊員は報復を恐れてキエフから逃亡、コサックたちと共にクリミアとウクライナ本土を繋ぐ幹線道路に検問所を設置した。 2月27日には、クリミア自治共和国議会・政府本部を親露派武装集団が占拠した。彼らは実際にはロシア特殊作戦軍の部隊だったと推測される。同日に議会は、クリミアの自治権拡大の是非を問う住民投票を5月25日に実施すること、また投票で政権を親露派の議会に譲り渡すことを決めた。親ロシア派のアクショーノフがクリミア自治共和国の新首相に任命された。 翌2月28日、国籍マークを外した兵士たちがベルベク空軍基地に到着し、滑走路を封鎖した。同時にシンフェロポリにある空港も武装集団に占拠された。 3月1日にプーチン大統領は、ロシア系住民の保護を理由に、ウクライナへのロシア軍投入の承認を上院に求め、上院はこれを全会一致で承認した。 3月2日にウクライナ海軍のベレゾフスキー総司令官は親ロシア派に投降し、セヴァストーポリにある海軍本部を明け渡した。彼は「クリミア海軍司令官」に任ぜられ、ロシアのクリミア併合の後はロシア黒海艦隊副司令となっている。 3月3日にはロシアがクリミアの駐留軍を増派し、ウクライナ軍に対し投降を求める最後通告を出した。3月5日までに、ロシア軍は籠城するウクライナ軍を降伏させることに成功し、大部分のウクライナ軍兵士はロシア軍で契約軍人となることに同意した。 3月7日にクリミア議会は、ウクライナからの分離とロシアへの編入を求める決議を採択し、ロシア連邦編入の是非を問う住民投票を同月16日に実施することも決めた。 3月10日にロシアはウクライナ海軍艦船の通行を妨害するため、3隻の船をドヌズラフ湖から黒海に通ずる海路に沈没させた。この間ロシアは掌握したケルチ海峡を往復する船を使って増援兵力の揚陸を継続した。12日にはクリミアとウクライナ本土を繋ぐ検問所を完全に封鎖し、15日にはS-300PS地対空ミサイル・システムを配備した。 3月16日にはロシア編入の是非を問う住民投票が行われ、編入支持が96.6%と圧倒的多数だった。これを受けて翌17日にクリミア議会はウクライナからの独立を宣言し、ロシアへの編入を承認した。またクリミア半島にあるウクライナの国有資産は全て、クリミアが国有化するとも宣言した。 3月25日にはロシア軍はクリミアにある193の駐屯地と停泊していた艦艇全てを掌握した。ウクライナ政府はクリミアに駐屯する部隊に撤退命令を出した。
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