鷹司熙通とは? わかりやすく解説

鷹司煕通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/30 04:05 UTC 版)

鷹司煕通
たかつかさ ひろみち
生年月日 1855年4月2日
安政2年2月16日
没年月日 (1918-05-17) 1918年5月17日(63歳没)
出身校 陸軍士官学校
前職 侍従武官
称号 従一位
勲一等旭日大綬章
公爵
配偶者 鷹司順子
子女 長男・鷹司信輔
次男・鷹司信熙
親族 義父・徳大寺実則(内大臣)
兄・九条道孝(貴族院議員)
兄・鶴殿忠善(貴族院議員)
義兄・菊亭脩季(貴族院議員)
弟・二条基弘(貴族院議員)
甥・九条道実(貴族院議員)
甥・鶴殿家勝(貴族院議員)
甥・二条厚基(貴族院議員)

在任期間 1890年2月 - 1918年5月17日
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大正天皇即位の大礼使長官時の鷹司凞通(1915年)

鷹司 煕通(たかつかさ ひろみち、1855年4月2日安政2年2月16日〉- 1918年大正7年〉5月17日)は、日本華族陸軍軍人侍従長貴族院議員。官位陸軍少将従一位勲一等公爵

経歴

九条尚忠の子として安政2年(1855年)に生まれた。嗣子のなかった鷹司輔煕養嗣子となり、輔煕の「煕」とその父政通の「通」をとって煕通と名乗った。

1872年明治5年)、養父の隠居に伴い鷹司家を相続した。同年、ドイツに留学した。

1879年(明治12年)2月1日陸軍士官学校(旧2期)を卒業。同期には大迫尚道陸軍大将井口省吾陸軍大将、大谷喜久蔵陸軍大将男爵がいた。

1889年(明治22年)11月5日皇太子嘉仁親王東宮武官に就任、1902年(明治35年)6月12日には侍従武官に就任する。その間、1884年(明治17年)7月には公爵に叙され、1890年(明治23年)2月には公爵議員として貴族院議員に就任した[1]

1907年(明治40年)11月13日、陸軍歩兵大佐に進み、1910年(明治43年)2月16日、陸軍少将に昇ると共に後備役となり、侍従職幹事に就任する。1912年大正元年)9月、明治天皇大喪儀の祭官長を務め、同年12月21日侍従長に任命される。1915年(大正4年)4月1日、陸軍を退役[2]1916年(大正5年)1月、旭日大綬章を賜る。

1918年(大正7年)5月17日、脳溢血のため死去[3]。墓所は小倉山二尊院

栄典

位階
爵位
勲章
受章年 略綬 勲章名 備考
1889年(明治22年)11月25日 大日本帝国憲法発布記念章[11]
1892年(明治25年)5月28日 勲六等瑞宝章[12]
1906年(明治39年)4月1日 勲三等旭日中綬章[13]
1906年(明治39年)4月1日 明治三十七八年従軍記章[13]
1914年(大正3年)6月18日 金杯一個[14]
1915年(大正4年)5月29日 勲二等瑞宝章[15]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章[16]
1916年(大正5年)1月19日 勲一等旭日大綬章[17]
外国勲章佩用允許
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1908年(明治41年)12月25日 大韓帝国 勲二等八卦章[18]
1916年(大正5年)6月19日 ロシア帝国 神聖アンナ第一等勲章[19]

系譜

脚注

  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』10頁。
  2. ^ 『官報』第809号、1915年4月16日。
  3. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)16頁
  4. ^ 『官報』第1351号「叙任及辞令」1887年12月28日。
  5. ^ 『官報』第2391号「叙任及辞令」1891年6月20日。
  6. ^ 『官報』第3600号「叙任及辞令」1895年7月1日。
  7. ^ 『官報』第4799号「叙任及辞令」1899年7月1日。
  8. ^ 『官報』第5998号「叙任及辞令」1903年7月1日。
  9. ^ 『官報』第1736号「叙任及辞令」1918年5月18日。
  10. ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。
  11. ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
  12. ^ 『官報』第2680号「叙任及辞令」1892年6月6日。
  13. ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。
  14. ^ 『官報』第565号「叙任及辞令」1914年6月19日。
  15. ^ 『官報』第847号「叙任及辞令」1915年5月31日。
  16. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  17. ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。
  18. ^ 『官報』第7653号「叙任及辞令」1908年12月28日。
  19. ^ 『官報』第1196号「叙任及辞令」1916年6月21日。

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


日本の爵位
先代
叙爵
公爵
鷹司家初代
1884年 - 1918年
次代
鷹司信輔




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