中臣益人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 07:45 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動中臣 益人(なかとみ の ますひと)は、奈良時代の貴族。神祇伯・中臣人足の子。官位は正五位下・神祇大副。
経歴
天平18年(746年)従五位下・主税頭に叙任される。翌天平19年(747年)神祇大副に任ぜられると、聖武朝末から孝謙朝にかけてこれを務めた。またこの間の天平21年(749年)には4月に幣帛を伊勢大臣神宮に奉納した労により従五位上、11月に正五位下と続けて昇叙されている。
天平勝宝6年(754年)4月に造宮少輔に遷るが、6月には早くも神祇大副に再任されている。その後、相模守として地方官に転じたとされる。
官歴
『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天平18年(746年) 4月22日:従五位下。8月8日:主税頭
- 天平19年(747年) 5月1日:神祇大副
- 天平21年(749年) 4月5日:従五位上。8月10日:兼民部大輔。11月26日:正五位下
- 天平勝宝6年(754年) 4月5日:造宮少輔。6月1日:神祇大副
- 時期不詳:相模守[1]
系譜
「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)による。
- 父:中臣人足
- 母:不詳
- 生母不明の子女
- 男子:大中臣真魚
脚注
参考文献
- 中臣益人のページへのリンク