中臣習宜山守とは? わかりやすく解説

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中臣習宜山守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/01 09:30 UTC 版)

中臣習宜 山守(なかとみのすげ の やまもり、生没年不詳)は、奈良時代貴族朝臣官位従五位上伊勢神宮大宮司

出自

新撰姓氏録』「右京神別」によると、「中臣習宜朝臣」は「同神孫味瓊杵田命之後也習宜」とある。習宜は大和国添下郡の地名。

経歴

『二所太神宮例文』の大宮司次第に、「(第十四)」褶宜朝臣山守(天平宝字六年(762年)七月八日任。在任二年)」と記されている。

称徳朝天平神護元年(765年)正月、改元とともに日置蓑麻呂多治比長野多治比乙麻呂下道色夫多・大伴呰麻呂・弓削秋麻呂弓削牛養らとともに従五位下から内位従五位下に昇叙[1]

光仁朝の宝亀6年(775年)正月、高向家主藤原鷲取佐伯国守とともに、従五位上に昇叙[2]。以降の事績については知られていない。

官歴

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『続日本紀』巻第二十六、称徳天皇 天平神護元年正月7日条
  2. ^ 『続日本紀』巻第三十三、光仁天皇 宝亀6年正月16日条

参考文献

  • 『続日本紀』4 新日本古典文学大系15 岩波書店、1995年
  • 宇治谷孟訳『続日本紀 (中)・(下)』講談社学術文庫、1992年・1995年



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