日置蓑麻呂とは? わかりやすく解説

日置蓑麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 02:18 UTC 版)

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日置蓑麻呂
時代 奈良時代
生誕 大宝4年(704年
死没 不明
官位 正五位下陰陽頭
主君 淳仁天皇称徳天皇光仁天皇桓武天皇
氏族 日置造→栄井宿禰
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日置 蓑麻呂(へき の みのまろ)は、奈良時代貴族氏姓は日置造のち栄井宿禰官位正五位下陰陽頭

出自

日置氏(日置造)は高句麗人である伊利須使主の子孫とされる渡来系氏族[1]

経歴

左京三条三坊戸主の日置男成の戸口[2]天平年間に東大寺写経書に勤務し、『正倉院文書』にその名が現れる。淳仁朝にて大内記を務めたのち、従五位下に叙せられ、天平宝字6年(762年丹波介に任ぜられる。

天平宝字8年(764年)に発生した藤原仲麻呂の乱では孝謙上皇側に付いたと見られ、乱後の10月に外正五位下に、翌天平神護元年(765年)正月には内位の従五位下に叙せられている。神護景雲元年(767年)従五位上に昇叙され、翌神護景雲2年(768年)には丹波介から丹波守に昇格した。

神護景雲4年(770年)称徳天皇が崩御してまもなく図書頭に遷ると、宝亀5年(774年大学頭光仁朝では京官を務めた。また、宝亀8年(777年)には道形ら一族と共に日置造から栄井宿禰に改姓している。

天応元年(781年桓武天皇の即位に伴って正五位下に叙せられ、翌天応2年(782年)陰陽頭に任ぜられている。また延暦2年(783年四書五経に明るく行いに励み、若い頃より清廉で慎み深いことで知られており、後進の官人にも尊ばれ推されていることから、80歳になったことを祝して桓武天皇からあしぎぬ麻布・米・塩を与えられている[3]

官歴

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 新撰姓氏録』左京諸蕃
  2. ^ 『大日本古文書』3-78
  3. ^ 『続日本紀』延暦2年正月4日条
  4. ^ 『大日本古文書』4-186

参考文献





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