円載とは? わかりやすく解説

円載

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/10 23:27 UTC 版)

円載(えんさい、生年不詳 - 元慶元年(877年))は、平安時代前期の天台宗の僧。出身は大和国

来歴

幼い頃から日本天台宗の祖最澄に師事し、838年承和5年)天台座主円澄の天台宗義に関する疑問50条を携えてに渡った。天台山広修・維蠲(いけん)の「唐決」を得て弟子の仁好(にんこう)に託して日本に送った。その後もに残り学識を持って宣宗の帰依を受け、また、855年斉衡2年)円珍とともに長安青龍寺法全(はっぜん)から灌頂を受けた。この間、日本の朝廷から2度にわたり黄金の送金を受けていた。

864年(貞観6年)、真如法親王(高岳親王)宗叡が長安に到着。在唐30余年になる円載の手配により、長安西明寺に案内された。

877年(元慶元年)、日本へ帰る途中にて船が難破し、遭難死。

「破戒僧」として

なお、唐に滞在している間に破戒悪行があったとも伝えられている。円珍「行歴抄」では、円載との確執が描写されている[1]。「行歴抄」では、円載が神羅の僧を雇い、毒薬で円修を殺害しようとしたが成功しなかったこと、宿で悪言を吐いたこと、円載が円珍の妨害をなしたことなどが書かれている。[2]

円載は、唐滞在中に会昌の廃仏に遭遇し、他の多くの僧と同様に強制的に還俗させられており、妻子も持った。これが「破戒悪行」として日本に伝わった可能性もある。同時期に唐に滞在していた円仁も同様に還俗させられている(円仁が再度剃髪したのは帰国する直前のことであった。また円仁は円載とちがって無事帰国を果たしている)。

佐伯有清は、円珍の円載評価については、確執もあり、割り引いて考量する方が適切との見方をしている[3]

脚注

  1. ^ 王勇『唐から見た遣唐使』講談社1998
  2. ^ 辻善之助『日本仏教史』岩波書店、昭和19-11-30、350-351頁。 
  3. ^ 佐伯有清『悲運の遣唐僧 円載の数奇な生涯

参考文献


円載(えんさい)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 10:04 UTC 版)

黒い仏」の記事における「円載(えんさい)」の解説

実在人物平安時代9世紀天台僧。留学僧として唐で40年過ごした後、877年比叡山誰も知らない「ある経典」を日本持ち帰る途中で船が難破し遭難死する彼の持ち帰ろうとしていた木箱が、阿久浜漂着した

※この「円載(えんさい)」の解説は、「黒い仏」の解説の一部です。
「円載(えんさい)」を含む「黒い仏」の記事については、「黒い仏」の概要を参照ください。

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