へんじょう〔ヘンゼウ〕【遍昭/遍照】
読み方:へんじょう
[816〜890]平安前期の僧・歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。俗名、良岑宗貞(よしみねのむねさだ)。桓武天皇の孫。良岑安世の子。素性(そせい)の父。仁明天皇に仕えたが、天皇の崩御により出家。京都山科(やましな)の花山に元慶寺を創建。歌は古今集などに収録。家集に「遍昭集」がある。花山僧正。
へん‐じょう〔‐ゼウ〕【遍照】
遍昭
遍照
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 00:54 UTC 版)
最初幕が開くと塀外の大道具でそこに仕丁たちが並び、話の筋を説明するせりふがあって引っ込むと、大道具を引いて御簾の下がる御殿の大道具になるが、近年では仕丁たちの出を略し、幕が開くとすぐに御殿の大道具で始まる。ここに官女たちが居並びこれもせりふの後、いよいよ六歌仙の登場となる。まず最初に出てくるのは遍照である。 遍照は緋の衣に九条袈裟という高位の僧侶のなりで下手より出て、小野小町への恋慕の思いを訴える。しかし官女たちに遍照は阻まれ、御簾が上がり小町も出てくるが、小町は遍照の思いに応えることがないので、遍照は意気消沈してその場を去る。小町も遍照を見送って官女たちとともに再び御簾の中に隠れる。 この「遍照」の地(伴奏)は初演の時には大薩摩節であったが、のちに曲を竹本に改めて上演されており、現行も専ら竹本を使うのが例となっている。大薩摩節の曲は長唄の曲目の中に残る。『六歌仙容彩』については七代目坂東三津五郎が『舞踊芸話』のなかで解説しており、七代目三津五郎は「遍照」のくだりについて「とりたててお話しすることはありません」(『舞踊芸話』、以下引用同じ)としているが、浄瑠璃の「白きを赤きと言わざりき」というところで、赤い衣の袖をまくって下の白い着付けを見せるのが面白い振りだと述べる。現行では「遍照」は本来の内容を短く切り詰めて済ませ、遍照が下手に引っ込むと早替りで康秀となって出る。古くは下手に几帳を立て、その陰に遍照が入って次の「文屋」に替わって出た。
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「遍照」の例文・使い方・用例・文例
- 遍照尊という仏
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