澄豪_(鎌倉時代)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 澄豪_(鎌倉時代)の意味・解説 

澄豪 (鎌倉時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 01:44 UTC 版)

澄豪(ちょうごう、正元元年(1259年)- 正平5年/貞和6年1月27日1350年3月6日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代前期にかけての天台宗の僧。法諱は澄豪、法号は法円。西山上人・伝法和尚と称された。

経歴

藤原顕成の子と伝えられ、19歳の時に延暦寺に入って承澄に台密穴太流を学ぶ。徳治2年(1307年)に大阿闍梨に任ぜられ、山城国宝菩提寺・近江国金剛輪寺などを拠点として著述に励み、また恵鎮らに台密穴太流を授けた。後に澄豪の流れは宝菩提寺の所在地より「西山流」と称された。

著書に『三五要決』などがある。

参考文献

  • 日本仏教人名辞典編纂委員会 編『日本仏教人名辞典』法蔵館、1992年 ISBN 978-4-8318-7007-0
  • 市古貞次 編『国書人名辞典 3』岩波書店、1996年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「澄豪_(鎌倉時代)」の関連用語

澄豪_(鎌倉時代)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



澄豪_(鎌倉時代)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの澄豪 (鎌倉時代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS