大和物語とは? わかりやすく解説

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やまとものがたり【大和物語】

読み方:やまとものがたり

平安中期歌物語作者未詳天暦(947〜957)ごろの成立、のち増補されたといわれる和歌を主とし、恋愛伝説など主題とする170余編の説話収録


大和物語


大和物語〈下/(勝命本)〉

主名称: 大和物語〈下/(勝命本)〉
指定番号 2343
枝番 00
指定年月日 1978.06.15(昭和53.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書 正治二年八月十九日光阿弥陀仏書写本奥書
員数 1帖
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  大和物語は平安時代中期成立した和歌物語で、この九州大学本はその鎌倉時代後期古写本である。帖末の本奥書によれば本の藍本美濃権守勝命、即ち歌人として聞えた藤原親重の進上本によって、正治二年八月光阿弥陀仏書写したものであったことを伝えている。大和物語の流布本藤原定家校訂経たのであるが、この九州大学本は諸本中最も時代の溯る書写本奥書有し異本系の現存最古写本として大和物語の古態伝えている。

大和物語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/19 00:17 UTC 版)

大和物語』(やまとものがたり)とは、平安時代に成立した中古日本の物語。ジャンルは歌物語で作者はいろいろな説がある。


注釈

  1. ^ ただし、巻頭一葉を欠く。
  2. ^ 第139段まで。
  3. ^ 「勝命」とは藤原親重(ちかしげ)の出家後の法名。
  4. ^ 大永8年三条西実隆奥書あり。高橋正治『大和物語の研究 系統別本文編 上』(1969年)に翻刻あり。
  5. ^ 所在不明。
  6. ^ 明応二年四月廿七日藤原親長書写の奥書、明応五年十一月廿八日左衛門尉為衆書写の奥書をもつ。
  7. ^ 高橋正治「大和物語」小学館『日本古典文学全集』所収はこれを底本とした。
  8. ^ 「花山の院の御つくりものがたりなりとある本にあり」という奥書あり。
  9. ^ 「近衛恵雲院関白稙家公外題、九条東光院関白頼通公」という貼紙がある。
  10. ^ 文禄五年細川幽斎奥書あり。
  11. ^ 第134段以降の零本。
  12. ^ 後撰和歌集』にある歌と詞書と同文である。田村本には細字で注記、勝命本には本文と同大で記されているが、注記が書写のうちに本文に誤写されたと考えられている。
  13. ^ 『大和物語抄』『大和物語虚静抄』『大和物語錦繍抄』
  14. ^ 柿本獎は「連名であるが、水野氏の著作と見てよいであろう。平明を旨とし、掘り下げた解釈は望めない略注である。全文の口訳も付いて更に平明を助ける。」として挙げている[7]
  15. ^ 底本は、國學院大學附属図書館所蔵十一行木版活字本。174段。御巫本にある附載説話も収める。
  16. ^ 前田家本にはない章段を加え174段に分けて、第二類附載説話も収める。
  17. ^ 柿本獎は「為家本を底本にする。本文にごく僅少の原文誤読があり(初刷)、校異提示の仕方、即ち巫鈴勝三本の取扱い方に窺われる著者の伝本認識に疑問があるが、普及に貢献し、研究を誘発する所が大きい、「付載説話」も収める。」として挙げている[7]
  18. ^ 柿本獎は「伝為氏本を底本にする。巻頭の詳細な解説は有益である。」として挙げている[7]
  19. ^ 「大和物語評釈(一)~(六十七)」[8]と、「大和物語評釈(六十八)」[9]が、上下二冊本に再録されたもの。柿本獎は「研究の立場で見る場合は従来のどの注釈書もそれぞれの意義を有し、取捨できるものではないが、常識的にいえば、本物語の注釈はこの『評釈』を批判する事から出発してよいといえよう。さほどに画期的な詳注・詳説であり、必読の述作である。しかし『大和物語』の章段の順序を解いて、更めて主人物単位に組み変えたため、章段の連接(構成)や編者の意図について考察する場を失われた。」として挙げている[7]
  20. ^ 柿本獎は「(高橋)氏の『大和物語』認識の根幹が、この研究書によって窺われる。」として挙げている[7]
  21. ^ 上巻には為氏本・大永本・類従本・為家本・親長本・天福本の各翻刻と大永本影印とを、下巻には静嘉堂本・首書本・桂宮本・御巫本・鈴鹿本の各翻刻と鈴鹿本影印とを収める。
  22. ^ 『大和物語』に関しては、人物考・年次考が8篇収められている。

出典

  1. ^ 昭和51年『天理図書館善本叢書二十九』に複製。
  2. ^ 御巫本とともに翻刻されて、高橋(1970年)『大和物語の研究 本文篇下』に収録。
  3. ^ 高橋(1988年)『大和物語諸本目録 A系統』に全文複製収載。
  4. ^ 室町初期写。文明十年藤原親長筆の転写本。昭和51年刊『陽明叢書 国書篇 第9輯』に全文複製収載。
  5. ^ 久曾神昇『勝命本大和物語とその研究』で発表。
  6. ^ 今井源衛[編]「(支子文庫)大和物語(影印):釈文と解題」『在九州国文資料影印叢書:第2期-1』在九州国文資料影印叢書刊行会、1981年刊、後に今井源衛『王朝の物語と漢詩文』笠間書院、1990年刊に再録。
  7. ^ a b c d e 柿本獎(1981年)『大和物語の注釈と研究』武蔵野書院
  8. ^ 學燈社國文學』第6巻第11号から第13巻第11号に連載。
  9. ^ 梅光女学院大学紀要『日本文学研究』第25号に収載。


「大和物語」の続きの解説一覧

大和物語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/10 08:54 UTC 版)

菟原処女の伝説」の記事における「大和物語」の解説

平安時代書かれた『大和物語』ではこの伝説が脚色され舞台生田川となり、娘の親が男たち難題出し、3人の死後に墓を作ることについて争い起きたとされている。

※この「大和物語」の解説は、「菟原処女の伝説」の解説の一部です。
「大和物語」を含む「菟原処女の伝説」の記事については、「菟原処女の伝説」の概要を参照ください。


大和物語(尾形月耕画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 09:01 UTC 版)

「大和物語」の記事における「大和物語(尾形月耕画)」の解説

以下は尾形月耕による『大和物語』の木版画である。同じ歌物語の『伊勢物語』の絵画化は古くからあるが、『大和物語』については絵画化の例はほぼ皆無であり、月耕の作は珍しい例といえる内容章段番号は『日本古典文学大系』9に拠った。 藤原忠文息子藤原滋望父とともに東国へ下ることになったとき、滋望と交際していた監の命婦やまももを贈ると、滋望は命婦に「みちのくの あだちのやまも もろともに こえばわかれの かなしからじを」と詠んだ70段)。 藤原庶正(藤原兼輔の子)が賀茂神社臨時祭舞人選ばれ勤めた。このとき或る女から「むかしきて なれしをすれる ころもでを あなめづらしよそにみるかな」と詠みかけられる113段)。 大和掾という男は妻のほかに筑紫出身の女を妾にしていたが、男は心変りして妾とは別れることになり、妾は故郷筑紫帰ることになった。男と本妻山崎の渡しまで出て筑紫の女を見送ると、女は男と本妻に「ふたりこし みちともみえぬ なみのうへを おもひかけても かへすめるかな」という歌を残し舟で去ってゆく(141段)。 攝津国難波に住む夫婦貧しさから、妻が夫を残し都に出て宮仕えをした。妻は都で別の男の妻となるも、なお故郷残した夫のことが忘れられ摂津に戻る。だが住んでいた家は跡形もなく夫の行方わからない。そこへ背負ったみすぼらしい男が通りかかるが、その男は「きみなくて あしかりけりと おもふにも いとどなにはの うらぞうみうき」という歌を女に差し出す。これこそ別れたもとの夫であった148段)。 「ならのみかど」に仕え采女は帝のことを思うあまり猿沢の池身を投げてしまった。それを聞いた帝が采女の死を痛み猿沢の池訪れたとき、供をしていた柿本人麿が「わぎもこが ねたくれがみを さるさはの いけのみなもに なすぞかなしき」と帝の心に擬えて歌を詠んだ150段)。 朝廷陸奥国磐手(いわで)の郡より献上され、帝はこのを大変気に入り可愛がっていた。あるとき近臣大納言にその預けたところ、逃げて行方知れずとなった八方手を尽くして探したがどうしても見つからない致し方なく大納言はこのことを奏上すると、帝はただひとこと、「いはでおもふぞいふにまされる」というのみであった152段)。 信濃国更科に住む男は年老いたおばとともに暮らしていたが、男の妻はこのおばのことを憎み、深い山におばを捨ててこいと男に迫った。ついに男はおばをだまして月夜に連れ出し、山に置き去りにする。だが家に帰った男は、「わがこころ なぐさめかねつ さらしなの をばすてやまに てるつきをみて」と自分のしたことを悔い、おばを迎え行ったという(156段)。 下野国に住む男がそれまで暮らしていた妻を捨て新しい女のもとで暮らすことになった。元の妻の家にある家財道具新しい女所へ持っていかれ、残ったのは馬ぶね(飼葉桶ひとつだけ。それも取りにやらすため、男の従者で「まかぢ」という少年使い出された。妻はまかぢに、「ふねもいぬ まかぢもみえじ けふよりは うきよのなかを いかでわたらむ」と男に言づてしてくれと頼む。これを聞いた男は家財道具とともに元の妻のところへ帰った157段)。

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