和乙継
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時代 | 奈良時代 |
別名 | 和弟嗣 |
官位 | 贈正一位 |
氏族 | 和氏→高野朝臣 |
父母 | 父:和武助 |
妻 | 土師真妹(土師富杼の娘) |
子 | 高野新笠 |
和 乙継(やまと の おとつぐ)は、奈良時代の官吏である[1]。祖先は百済武寧王である。高野新笠の父。孫にあたる桓武天皇即位の際、新笠とともに高野朝臣の称号を与えられる[2]。
『日本書紀』武烈天皇7年(西暦505年?)4月項に、百済から遣わされた武寧王の息子、斯我君(夫餘斯我)が大和の貴族女性と結婚し、法師君を生んで、法師君の息子は和乙継である。斯我君と純陀太子を同一人物と見る学者がいる[3]。
脚注
- ^ 和乙継-コトバンク
- ^ 高野新笠-桓武天皇の祖-千葉一族
- ^ Journal of African Studies 2006 (68): 107–108. (2006). doi:10.11619/africa1964.2006.107. ISSN 0065-4140. https://doi.org/10.11619/africa1964.2006.107.
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